邪馬台国論争
五月晴れとはいかないようですが、5月入りしました。と書いたところで、しばらく筆が止まっていました。久しぶりに書きます。で、タイトルは『邪馬台国論争』について。『篤姫を生んだ鹿児島こそスメル八千年帝国の理想郷だった』より、P24から、(戦後の史学会でも、最も華々しかったのが、邪馬台国論争だったことは、万人の常識だった。ところが、その全存在がかかっている国民の名、「倭人」という文字の読み方さえ分からない人たちが、その論争の花形だったのである。)こういう書き出しで始まっている。そして、いまだに、人々はそれを平気で、「ワジン」と読んでいる。三世紀にそれが書かれたとき、「倭人」の読み方はウバイドだったのである。それは漢から魏の時代の漢字の発音は、今では研究が進んで、「倭」は「ウワイ」だったのである。こう書きだされて...邪馬台国論争