「西方師資の途轍」について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・10)
10回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、「西方師資の途轍」という字句について見ておきたい。次に即ち本師、為に戒本を指して、罪相を識らしむ、方に教て戒を誦せしむ。既に其れ熟し已て大律蔵を誦す。日日誦過し旦旦之を試す。恒に受持せざる、恐くは心力を損ぜん。律蔵を誦し了て方に経論を学す。此は是れ西方師資の途轍なり。復た聖を去ること懸に遠しと雖も、然而、此の法未だ虧けず、此の二師を之の父母に喩えると為す。豈に受けんと欲する...「西方師資の途轍」について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・10)