APD/LiD(聴覚情報処理障害/聞き取り困難)の記事
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神崎 夏希 ~ あなたに元気を届けてくれる応援ボイス
結木 咲希 ~ 心を芯から癒してくれる、優しい時間を過ごせます
あい ~ 元気いっぱい、明るい妹系のお姉さんと楽しい時間を
かのん ~ 現役ナースが、あなたの疲れた心に優しく寄り添ってくれる
川口 茉央 ~ この出逢いがあなたの心の支えになりますように
なつめ ~ どんなことも寛容に受け入れ否定せずに包み込みます
綾瀬ナオ ~ 本心を隠して頑張るあなたが本当に安らげる心の居場所に
美月 ~ あなたが心からハッピーになるために声と言葉でお手伝いします
めい ~ おっとり関西弁であなたの心を楽しく癒やしちゃいます
花香(かこ) ~ あなたの心が休息しながら元気を補充できる心のとまり木
有村さくら ~ あなたの心をふんわりと包んで癒やす ちょっぴりお姉さんなお話し相手
雑談って、大事
悩みを相談できる相手が欲しい
男だって愚痴りたい
みきちゃんちゃん ~ 苦しみの中でもがくあなたを包み込む うつ病サバイバーのプロカウンセラー
14回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、比丘の下に学びに来ていた者についての話である。凡そ諸白衣、苾芻の所に詣で、若しくは専ら仏典を誦し、情に落髪を希み、願いて緇衣に畢るを、号して童子と為す。或は外典を求めて出離に心ろ無きを、名て学生と曰ふ。斯の二流、並に須らく自食すべし〈西国の僧寺、多く学生有り、来りて苾芻に就いて外典を習学す、一には駆馳して給侍することを得、二には乃ち教えて好心を発せしむ。既に自利利他有...童子と学生について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・14)
ここ数回、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。一法主釈道猷は生公の弟子なり。孝武即位に至りて、勅して新安寺に住せしめて、鎮寺の法主と為す。又、法瑗を勅して、湘官寺の法主と為す。『緇門正儀』2丁裏、訓読は原典を参照しつつ当方現在、「法主」というと、現在の日本仏教の一部宗派では「宗派の代表」という印象を持つ単語ではあるが、上記内容からすると、寺院の代表くらいの意味合いであったことが分かる。...「第一官律名義弁」其四(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・4)
令和4年度秋の彼岸会である。9月23日の秋分の日が「お中日」であったが、前後7日間が彼岸会となるので、今日は【其六】の続きで関連する記事を書いておきたい。昨日から江戸時代の真言宗・諦忍妙竜律師の『空華談叢』巻1に収録されている「彼岸」という文章を見ているので、更に学んでおきたい。予、更に一解あり、今試に是を示さん、大智度論第一に曰く、復た次に事成弁に於いて、亦、到彼岸と名づく〈天竺の俗法、凡そ事を造りて成弁すれば、皆、到彼岸と言う言う〉已上、若爾らば、彼岸とは業事成弁の義なり、弥陀経に七日の念仏の事を説玉へり、道綽禅師、此経説に依て、七日不断に念仏せしに、百万返成就せられたるの旨、迦才の浄土論に見たり、此七日百万返の行成就すれば、決定して往生の業成就するなり、是を古より業事成弁と言来れり、然れば則ち善導の...秋の彼岸会其七(令和4年度版)
令和4年度秋の彼岸会である。今日、9月23日の秋分の日が「お中日」ではあるので既に後半だが、【其四】の続きで関連する記事を書いておきたい。昨日までは、子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章を見ていたが、採り上げ終わった。よって、今日からは江戸時代の真言宗・諦忍妙竜律師の『空華談叢』巻1に収録されている「彼岸」という文章を見ていきたいと思う。問、二月・八月の彼岸と云は如何なる義ぞ。本拠ある事なりや。答、是は本邦にて始りし事にて、天竺・支那に本拠なき事なり。善導観経疏日想観の下に、唯だ春秋二際を取りて、其の日正東より出で、直西に没す。弥陀仏国、日没の処に当たれり、と云へり。摂州四天王寺の西門に、聖徳太子自筆の額あり。釈迦如来転法輪処、極楽東門中心に当たれり、と書り。是等の因縁に因て、...秋の彼岸会其五(令和4年度版)
令和4年度秋の彼岸会である。今日、9月23日の秋分の日が「お中日」ではある。今日を含めた前後7日間について、【其三】の続きで関連する記事を書いておきたい。子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章の続きを見ておきたいと思う。〇愚按するに已上の三説各おの采るに足る、就中第三の観経の釈、よしとす、▲問ふ、何故にか彼岸と称たるや、答て云く、梵語の波羅蜜多を到彼岸と翻す、謂ば穢土の此岸より煩悩生死の中流を渉て涅槃の彼岸に到の義也、然れば今彼岸と称るは因中説果の得名なり、『真俗仏事編』巻5「雑記部」さて、上記内容であるが、昨日までの記事で採り上げてきた3つの内容について、『真俗仏事編』の編者である子登によって、評した内容である。そして、もう結論は明確で、3番目に採り上げた善導和尚『観経疏』にお...秋の彼岸会其四(令和4年度版)
令和4年度秋の彼岸会である。9月23日の秋分の日が「お中日」ではあるが、同日を含めた前後7日間について、【其一二】の続きで関連する記事を書いておきたい。子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章の続きを見ておきたいと思う。〇第二説に曰く、提謂経并に浄土三昧経に、八王日に善を修する事出たり、然るに此の八王日今の彼岸の節あたれり、之に依て此の経を本拠とすと、八王日とは彼の経云く、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至と是を八王日と謂ふ、是れ天地の諸神陰陽交代する時なり、此の日に当れば、梵天・帝釈・鎮臣三十二人、司命・司録・閻魔大王・八王使者ことごとく出で四方を巡り見て、人民の善悪を行ずると校録す、地獄王も輔臣を出して罪あるものを記さしむ、前斎日〈十五日なり〉と八王日とには過あれど...秋の彼岸会其二(令和4年度版)
今日から、令和4年度秋の彼岸会である。9月23日の秋分の日が「お中日」ではあるが、同日を含めた前後7日間について、関連する記事を書いておきたいと思う。とりあえず、今回の記事では、かつて【葬儀時に棺へ「血脈」を入れるべきか否か?】という記事でも採り上げた子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章を見ておきたいと思う。春秋彼岸仏事問ふ、春秋の中の時節を彼岸と名づけ仏事を修し善根を作す時とす。其の故、如何。答て曰く、此に三説あり、下より列して示さむ。『真俗仏事編』巻5「雑記部」冒頭の文章は以上である。なお、当方、本書の享保13年版も持っているが、明治19年の縮刷版も持っている。今回は、縮刷版を見ながら記事を書いているが、若干の視力減退が確認される昨今、縮刷版の字の小ささに辟易している・・・...秋の彼岸会其一(令和4年度版)
当方が生まれた頃は、まだ「9月15日」で固定されていたのだが、2003年からはいわゆる「ハッピーマンデー」の扱いになったので、今日、9月19日が「敬老の日」となり、いわゆるシルバーウィーク的な扱いともなっているようだ。この日は、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。それで、例年のことだが、今日という日には「敬老」について一言書くことにしている。いきなりだが、以下の言葉を紹介しておきたい。第二ぢぢばばを、たいせつにせよ。文学社編輯所編『尋常修身訓』巻2(文学社・明治28年)2丁裏いわゆる戦前の「修身」の教科書であるが、尋常小学校用の『尋常修身訓』を。「第二敬老」の項目を見てみたわけである。ところで、上記項目に続くページには、そのやり方を促す絵が入っていて、以下の説明...敬老の日(令和4年度版)
慈雲尊者飲光(1718~1805)は江戸時代後期の真言宗侶だが、「正法律」と呼ばれる戒律復興を行ったことでも知られる。色々とあって、その教えを学ぶ機会があるのだが、意外と明治時代以降に刊行された教えが多い。慈雲尊者はもちろん、同時代にも大きな影響があったが、明治時代以降にこそ、慈雲尊者の教えは貴重だとされた。そこで、明治時代にどのように参照されていたのかを学ぶために、敢えて明治時代に刊行された慈雲尊者の教えを見ている。例えば、以下の一節などはどうか。戒律沙門の通式なり、仏弟子たる者必ず七衆あり、今時諸宗の我宗にては、戒学いらぬと云ふ者あるは僻事なり、又、某師所立の円頓戒等は大悲菩薩の弁の如し、聖教量に違す、近代別行血脈など云ふもの出来て、達磨所得など云ふ者あり、皆後人の杜撰なり、支那諸伝記にもなし、又、某...慈雲尊者の説く諸宗の戒律
大乗仏教が菩薩という理想的な修行者を前面に押し出すと、それまでの一般的な修行者を声聞として位置付けた。それに伴い、戒律についても、「菩薩戒」という表現や思想的体系が打ち出される一方で、従来の戒を「声聞戒」と呼称した・・・はずなのだが、個人的にどの辺が最も古いのか気になった。もちろん、一般的には大乗『大般涅槃経』での、菩薩戒と声聞戒との対比が知られていると思う。戒に復た二有り、一には声聞戒、二には菩薩戒。初発心より、乃至、阿耨多羅三藐三菩提を得成す、是れを菩薩戒と名づく。若しくは白骨を観る、乃至、阿羅漢果を証得す、是れを声聞戒と名づく。若しくは声聞戒を受持すること有る者は、当に知るべし是の人、仏性及び以て如来を見ず。若しくは菩薩戒を受持すること有る者は、当に知るべし是の人、阿耨多羅三藐三菩提を得て、能く仏性...「声聞戒」という表現について
「血脈」というのは、例えば受戒などをした時に、仏祖の伝灯を記載して、戒を受けた当人と仏祖との繋がりを示す物として理解される。もちろん、「戒」だけではなくて、宗旨・宗要を受けた場合などにも授与されることがある。そこで、それら「血脈」を受けた本人の葬儀の時に、棺に入れるべきか否かという議論があった。以下の一節などはどうか?血脈入棺問、僧は印信を棺に入れ、俗は血脈等を棺に納む。是れ、経巻を焚焼するの咎ならずや。答て曰く、罪は悪心より生ず。今、印信を帯し、血脈を持するは滅罪生善の為なれば、過無し。況や昔、日蔵上人、経と本尊と持ち玉ふを視て、琰魔王拝し玉ふ〈土砂勧信記〉を聞けば、今の印信・血脈は是れ仏祖相承の印璽なり。琰王、尚貴べし。而らば、血脈・印信等を亡者の身に帯せしむる事理ならずや。又、彼の随求陀羅尼を死骸に...葬儀時に棺へ「血脈」を入れるべきか否か?
これは、以前アップした【『正法念処経』に見る「四種受戒」について】の続きの記事となる。『正法念処経』という何とも黙示録的な経典があるのだが、その中で「四種受戒」、つまりは受戒の種類について指摘した文脈があった。それで、受戒すれば、次の問題は持戒となるのだが、それについて徐々に「持戒者」としての境涯が深まる様子を指摘している。よって、正確には「四種持戒」である。又復た更に四種持戒有り。何等をか四と為すや。一には希持戒、二には半持戒、三には悔持戒、四には合持戒なり。彼の優婆塞、句海を学ぶに於いて次第に漸取す。初め三帰を取りて優婆塞と作る。彼の人、心を修め、復た久時に於いて善く観察し已んぬ。一学句を取りて、彼の句を学ぶに於いて、堅持して缺けず、穿たず、孔かず。『正法念処経』巻44「観天品之二十三」まずは、「四種...『正法念処経』に見る「四種持戒」について(1)
江戸時代、初等教育に用いられたテキストとして「往来物」が存在している。「往来」とは手紙のやりとりのことで、その手紙に模した文章を書き写すことで、文字や文章を自主学習する意味がある。そして、「往来物」の一つに『宗門往来(または『宗門往来起原抄』)』が存在している。書誌情報としては、全1巻で東里山人(鼻山人とも)、栄林堂森屋治兵衛の印刷で、文政7年(1824)版となっている。つまりは、江戸時代末期の印刷になるのだが、転ずればその頃の仏教宗派観が知られるわけで、その辺を読み解いてみようということである。なお、当方も一部所持しているのだが、先の通り「新日本古典籍総合DB」へのリンクを貼っておいたので、興味のある方は是非、画像でご覧いただくと良いと思う。ところで、宗派別という観点では、同書の頭註の位置に「江戸諸仏閣...『宗門往来』に見る日本仏教の宗派観について
以前アップした【戒律を得るのは人間界のみという話】の続きの記事を書いてみたい。それで、先に引いた一節については、『薩婆多毘尼毘婆沙』巻1「總序戒法異名等」にも書かれている。それどころか、中国では『法苑珠林』などに、後者が引用されている。そこで、そちらの記事だけでは話が続いていかないが、別の文献を見ていくと、この辺が分かる。一、能受の人、五種有り。一つには是れ人道なり。故に律に云わく、「天子・阿修羅・非人・畜生、得戒せず」。故に論に云わく、「三帰・五戒、唯だ人中のみ有り、余道には無き所なり」。南山道宣『四分律刪補随機羯磨』巻上「◎諸戒受法篇第三」この「能受の人」というのは、よく戒を受けるべき人ということだが、それに五種あるとしている。この全てを採り上げると、人権的な問題が含まれるので、とりあえず1つだけでも...「戒律を得るのは人間界のみという話」の続き
辞書的な文献である『釈氏要覧』の記述を学んでおきたい。具足戒即ち出家の二衆、受戒するところなり。何をか具足と名づくるや。決定蔵論に云わく、比丘戒、四分の義を摂す。一には具足を白四羯磨して受くるなり。二には具足するに随い、謂わく此の向後より、一一の戒に随い、常に持して覆護するが故に。三には他心の具足を護る。謂わく比丘一分の威儀具足するに他心を護ると名づく。四には守戒を具足す。謂わく小罪を見るに於いて畏れて犯さず。若し犯有る者は、悉く皆な発露するが故に。此の具足戒、六聚有り。比丘二百五十條、尼三百五十條なり。次に釈すること左の如し。『釈氏要覧』巻上、明治期の版本を参照しつつ訓読は当方具足戒とは、一般的には受戒したことで功徳が具足し、持戒がされていくという風に説明されると思うのだが、上記の内容だと、『決定蔵論』...『釈氏要覧』に見る「具足戒」について
今日、9月10日は、旧暦8月15日に当たり、いわゆる「中秋の名月」となる。なお、かつての禅僧は、この中秋に説法(上堂)を行い、偈頌(漢詩)を詠むなどし、この日を楽しんだ、というか、修行の機会に換えたのであった。元々、15日というのは上堂を行う機会でもあったので、それに合わせたわけである。今日は、そのような説法の一つを学んでみたい。上堂。去年の人、中秋の月を看る。今年の人、中秋の月を看る。今年の人、是れ去年の人なり。去年の月、是れ今年の月なり。還た、人有りて這裏に向かいて一隻眼を著得せん。若し也た著得すれば、径山、半院を分かちて伊とともに住す。其れ或いは未だ然らざれば、堂に帰りて茶を喫す。『大慧録』巻2中国臨済宗の大慧宗杲禅師(1089~1163)が径山能仁禅院で行った上堂である。この上堂だが、「中秋の上堂...中秋の名月(令和4年度版)
今日は9月9日、いわゆる「重陽の節句」である。この日について、例えば以下のような説明はどうか?▲九日重陽の御祝儀、九は陽数也、故に重陽と云、九をかさぬると云心也。〇菊酒九月九日蓬餅を食ひ、菊花酒を飲む、かくのごとくすれば人をして長寿ならしむ。〇菊花酒の製法、菊花舒る時、花も茎葉もともに、黍米にまじへてこれを醸し、来年九月九日に至てとり出して、これを飲む。〈二説ともに西京雑記に見〉三田村鳶魚氏編『江戸年中行事』中公文庫・昭和56年、51頁たいがい、重陽は陽数である九が重なった日という説明がされる。そして、菊花である。季節的なこともあり、今日は「菊の節句」でもある。また、菊は永遠の象徴でもあるから、菊花酒に長寿を期待したのであった。ということで、例年の通りだが、以下には「重陽の節句」に因んだ説法などを学んでみ...重陽の節句(令和4年度版)
個人的に、浄土真宗・存覚上人の『六要鈔』を参照していたら、「末法の中に名字比丘は世宝たるが故に痛むべきにあらずとなり」という一節があった。この一節は、末法無戒の理由や意義について説かれた内容なのだが、そこに、「名字比丘」という表現があった。そこで、とりあえず以下の一節などを見てみた。了知すべし、清浄士よ、是れより以後、我は法中に於いて、復た鬚髪を剃除し、身に袈裟を著けると雖も、禁戒を毀破し、不如法を行ずるは仮名比丘なり。如是の如く破戒の名字比丘、若し檀越有りて捨施し供養して護持養育すれば、我れ是の人、猶お、無量阿僧祇大福徳聚と説く。何を以ての故に、猶お能く多くの衆生を饒益するが故に。『大方等大集経』巻55「月蔵分第十二分布閻浮提品第十七」まぁ、こういう感じの時には、ほぼ必ずと言って良いくらい参照されるのが...「名字比丘」について
江戸時代初期の浄厳律師の『梵網菩薩戒諺註』という文献を学んでいた時に、そういえば、「諺註」という題が付いているな、と思っていたが、その後も、新義真言宗『密厳院発露懺悔文諺註』という文献も手元にあったことを思い出し、ここで「諺註」って何だ?という話となった。例えば、【日本古典籍総合目録DB】で「諺註」で検索かけてみると、40本以上の文献がヒットする。見た目的に、「註釈書」であることは間違い無いと思うのだが、中国ではこの「諺註」というタイトルを仏典で用いた例は、余り見ないようである。そうなると、日本で用いられた表現かな?という話になるのだが、意味はどうなるのだろうか?「註」は註記・註釈のことだろうが、「諺」は以下の意味がある。・ことわざ、教訓や伝承を含んだ言葉・・・だよな。ついでに、「諺とは、俗言なり」(『維...「諺註」という題名について
『西遊記』に登場する「猪八戒」という不思議な存在が気になっている。もちろん、ブタ(イノシシ)の妖怪キャラ、ということがではなくて、名前の「八戒」についてである。なお、この「猪八戒」の名前については、日本で江戸時代以降に多数作られた『西遊記』の絵入り本やその類本にも、理由が書かれるところである。其往昔は天上に在て、天逢元帥の職を任ぜられしが、王母瑶池の会の時、我酔に任せ、常娥を捕へ戯れし科により下界へ逐下され、錯つて猪の胎に入り、遂に此山に止り、名を猪剛鬣といふ者なり。『絵本西遊記全伝』、漢字を現在通用のものに改めるこの元々天人だったのが、猪八戒である。ただし、天上界を追放されて、人間界に降りてきたのだが、その際に、猪に生まれ変わってしまったという。それで、その後、孫悟空と遭遇し、問答をするのだが、孫悟空に...「猪八戒」という不思議な存在
タイトルの通りなのだが、少しく気になる文章を見付けたので、学んでみたい。第一、結解僧界法〈律に云わく、時に世、飢饉なり。余処の比丘、王舎城に集まる。僧房、皆な空なり、人の守護すること無し。開するに因りて、各おの本界を解き、通じて一界を結ぶ。後の時、豊足して、通を解し已りて還た小界を結ぶ。又、初縁の時、界内に別衆集まらずに受戒と為す。遂に界外に小界を結んで受くることを開き、名づけて戒壇と曰う。若し受戒し竟りて応に捨てるべきは、坊内に於いて受戒を作す。又、比丘と為る将に受戒の人、壇処に至りて、賊に遇いて剥かるるは、因みに坊内に於いて受戒場を作ることを聴す。応に先に僧坊の界を捨て、然る後に界戒場を結ぶ。相い内地を除くと唱え、更に僧坊界を結ぶ。此れ則ち先づ戒場を結び後に大界を結ぶ。先づ界外を結ぶは、是れ対して小界...僧伽の結界と戒壇の関係について
今日、9月4日は「供養の日」である。7月6日の「南無の日」同様、個人的に語呂合わせでそう考えていたのだが、何気なく調べてみたら、この日を普及・推進している「協会」があったらしい。全く知らなかったので、ちょっと驚いた。・供養の日-9月4日-(一般社団法人供養の日普及推進協会)以上の通りであるが、ここ5年くらいの団体のようである。それで、上記の団体とは全く関係がない当方ではあるが、勝手に仏教に於ける「供養」について見ていきたいと思う。問うて曰わく、若し爾ならば、何ぞ即ち華香等を説かず、而も其の因を説かざるや。答えて曰わく、供養具に二種有り、一つには財供養、二には法供養なり。若し但だ華香等の供養を説くのみならば、則ち法供養を摂せず。今、善根供養を説くは、当に知るべし、則ち財・法、倶に摂す。供養とは、若しくは見、...9月4日供養の日(令和4年度版)
今日、9月3日は「ベッドの日」らしい。理由は、語呂合わせで「ぐっ(9)すり(3)」になるからとのこと・・・いや、だとすると、ベッドのみの話にならない気がしたが、取り急ぎ、この日を制定したとされる「日本ベッド工業会」を調べてみた。・9月3日はベッドの日・キャンペーン!!(日本ベッド工業会)どうも、事実らしい。よって、タイトルの通りの記事を書いてみようと思うのだが、のっけから残念なお知らせがあって、実は、仏教ではベッドの使用が禁止されているのである。以下のような戒律が存在している。・高広の大床に坐臥せざれ(沙弥戒)・高広の大床に坐せざれ(八斎戒)八斎戒は、一日戒ともされるので、「臥」が無いのだろうか?それとも、当方が参照した文献がたまたまそうだった、ということだろうか?とはいえ、これはあくまでも一例であるので...「ベッドの日」に考える「仏教とベッド」の話
今日は9月2日、語呂合わせで「宝くじの日」である。・9月2日は「宝くじの日」!(宝くじ公式サイト)詳細は上記サイトをご覧いただければ良いのだが、当方ではまた別の角度から「くじ」について考えてみたい。ところで、「くじ」というと、神意を問うたり、未来を知ったりと、意外と宗教との親和性が高い。ただし、仏教的な観点だと、この「くじ」はどう判断されるのだろうか?そもそも、未来の良し悪しを知るなどという時、「くじ」などに「外注」しても良いのだろうか?と思っていたら、その辺を指摘した文章を見付けたので、見ておきたい。生死の路頭を認錯して、去来を出づるの閒話を説き、一世の人忙を惹き得て、終日に籤を求め卦を打つ。『林野奇禅師語録』巻8「復益城姚中丞」意味としては、本来は仏道の一大事であるべき生死について誤って理解し、去来か...9月2日宝くじの日(令和4年度版)
たいがい、毎月1日というのは、禅宗叢林に於いて、何かある日ではある。今日は9月1日だが、とりあえず以下の教えを学んでみたい。上堂、今朝九月初一、打板して普請坐禅し、第一に瞎睡を切忌し、直下に猛烈なるを先と為し、忽然として漆桶を爆破す、豁すれば雲散の秋天の如し、脊棒を劈り胸拳迸る。昼夜、方に纔かも眠るべからず。虚空消殞して更に消殞す、透過の威音、未だ朕前たり。咦。栗棘金圈恣ままに交𫋴し、凱歌高賀して風顛に徹す。『如浄和尚語録』中国禅宗の天童如浄禅師(1165~1227)の上堂語である。問題は、「今朝九月初一、打板して普請坐禅し」のところである。どうも、当時、南宋時代の中国禅林では、盛夏となる6月1日から9月1日までは、木版などを鳴らさずに、普請坐禅をしなかった。その代わり、随意坐禅を行ったともいう。また、普...今日は九月一日(令和4年度版)
前々回から、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。一僧正秦主勅して道䂮〈一に僧䂮〉法師を選んで、僧正と為す〈徳望有る者を設く、法を以て之を縄し、正に帰せしむ、故に僧正と曰ふなり〉。『緇門正儀』2丁表、訓読は原典を参照しつつ当方まずは、日本でもおそらく知られているであろう、僧官の官位である。なお、「僧正」の場合は「大僧正」や「権僧正」など、付随した官位も存在していたが、まずは「僧正」そのも...「第一官律名義弁」其三(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・3)
13回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、師として仰いだ者の呼び方について見ていきたい。若し人有て問て云く、「爾か、親教師、其の名、何ぞや」。或は問う、「汝、誰が弟子ぞと」。或は自ら事至ること有て、須く師の名を説くべきは、皆、応に言ふべし、「我れ事至るに因て、鄔波駄耶の名を説く。鄔波駄耶の名は某甲なり」。西国・南海、我と称する、是れ慢詞ならず、設令、汝と道は、亦た軽称に非ず、但だ其の彼此を別んと欲す、全く倨傲...師の呼び方について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・13)
前回の記事は、「釈尊の苦行について」と題して、江戸時代後期の国学者・平田篤胤(1776~1843)が釈尊の苦行をどのように評していたかを見た。そこで、今回はその続きではあるのだが、「苦行」の話が「神通」に接続されているので、見ておきたい。さて悉多は早く婆羅門らが説を看破りてあるに、坐禅観想に身を苦めたはいかにと云に、まづ彼念ひ極たる生老病死を解脱し、かつ神道を大きに修し得て、夫を以て婆羅門どもを伏させんが為にごらず。それはすなはち大論に、若不行苦行而呵言非道者無人信受以自行苦行過於余人と見へ、又西遊記にも、太子思惟至理為伏苦行外道節麻米以支身六年とあるは此事でござる。さやうに外道を伏させんとするはいかにといふに、かの外道の輩は国人に普く信じられておる者故、まづ其外道から伏させて道を説かねば弘まらぬからのこ...釈尊の神通について(拝啓平田篤胤先生19)
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載36回目である。なお、英訳された『九十五箇条の提題』を、当方で日本語訳して掲載することとした。11〔36〕すべての真に悔い改めたキリスト教徒は、『贖宥状』による証明が無くても、罰と罪から完全に逃れる権利を持つ。訳は当方ここで問われているのは、「真の悔い改め」と、『贖宥状』である。そして、ルターは、後者を批判し、前者を重視していることは一目瞭然である。ただし、本来であれば、前者が行き届かない人が、後者を求めた印象がある。そうなると、改めて前者の重要さを主張するために、この「罰と罪から完全に逃れる権利を持つ」という断言をしたのだろう。ここから、この1条は、ルターにとっての『贖宥状』批判のマニ...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・36
当方の手元に、『〈密宗必須〉三聚戒本』(東京書林山口屋佐七版、明治13年以降)という冊子があるのだが、内容は『梵網経』『瑜伽戒本』『根本説一切有部戒経』の3種の戒本を収録したもので、「密宗必須」とある通り、日本の真言宗で用いたもののようである。以前、【「瑜伽戒本略頌」について】という記事を書いたが、その続きのようなもので、今回は「摂律儀略頌」について学んでみたい。摂律儀略頌四重と四提と二不足と十三僧残と七滅諍と三十捨堕とを六十と為す。九十単提と百衆学と、是を二百五十戒と名づく。原典に随って訓読さて、分かりやすくいえば、前半の60条に、90条、100条を併せて二五〇戒になるという話だ。そして、これが「摂律儀戒」となっているのは、三聚浄戒の一である摂律儀戒の内容が、これら二五〇戒だとしているのである。ところで...「摂律儀略頌」について
最近、別件で学んでいた文献に、気になる一節があったので、ブログの記事にしておきたい。名を以て弟子に与う客問う、師、名を以て弟子に与うるは、日本風の為に来歴有るや。答う、支那に之れ有り。後漢の江表伝に、顧雍、蔡邕に従いて琴を学ぶ。邕、之と異なりて曰く、卿必ず成らん。故に名を以て卿を与う〈雍と邕と字同じ〉。『寂照堂谷響続集(以下、『寂照堂』と略記)』巻10、訓読は当方ということで、一瞬、「歴史上、初めて戒名を付けた話」かと思っていたら、全然違ってた。これはあくまでも、「師匠が弟子に名前を与えた話」である。そうなると、別に仏教では無くても良くて、今回の場合も、「琴」の学びに即して行われたものらしい。それで、当初はよく分からなかったのだが、ここで引用されていた『江表伝』の典拠は見付けた。そもそも『江表伝』とは西晋...師匠が弟子に名前を与えた起源の話
律関係の文献を見ていると、色々なところで参考になる記述を見出すことが出来る。一には三下の鐘を聞かば即ち須く務を息めて先ず且く出入すべし。二には先ず皀莢を用いて手を洗い浄からしめよ。〈以下略〉南山道宣『教誡新学比丘行護律儀』「二時食法第八〈六十條〉」実際のところは、上記の一文から更に58條ほど続くのだが、その冒頭二條のみ引用してみた。これは、「二時食法」という項目名の通り、仏教の修行道場中に於ける朝食・昼食についての話になるわけだが、以上のような説示が見られる。まず、最初の三下の鐘が鳴るというのは、集合する時の合図である。特に、寺院で食事を用意する、いわゆる「僧食」の場合、鐘が鳴ると「務(様々な仕事)」を止めて、食事場所に来なくてはならないと述べているのである。続いて、皀莢(サイカチ)の実を使って、手を洗い...食事の前に手を洗う話
いわゆる月遅れの地蔵盆(地蔵祭)の時期である。この祭は特に、地蔵菩薩が若い僧の姿で現れるという通念をもって、子供の守護神という側面が強まったため、旧暦7月24日(現在なら8月24日)に、子供たちが地蔵を祀る風習が、特に西日本で盛んになったという。やはり、京都で盛んだったようで、京都の場合には、洛外に六体の地蔵を祀り、それを市中の子供たちがお祭りしていたといい、江戸時代の鈴木正三(1579~1655)が晩年になって書いたと思われる、或る反故(手紙)には、この地蔵盆のことが書いてある。京中、辻々の地蔵祭、去年七月より童部共、見事に致し候。此五月にも盆を待兼候て、辻々にて祭を見事に致し候。鈴木正三『反故集』「或る士に与う」現在でも、京都の場合には、各地域でお地蔵さんをお守りしている家があって、各地域で僧侶を呼び...「地蔵盆」について
伝教大師最澄(766?~822)が中国留学の結果、持ち帰ることが出来た仏典関係の目録が『伝教大師将来目録』である(将来とは「持ち来たる」という意味)。それを読んでいくと、やはり、かなりの戒律関係の文献があったことが分かるのだが、少し気になる題名の著作があったので、見ておきたい。菩薩戒文句一巻・・・この著作は初めて見た。それで、「○○文句」というと、天台宗関係の提唱録などに見ることが出来、それこそ、上記目録にも以下のような題名が見える。妙法蓮華経文句疏十巻(智者大師出)摩訶止観文句二巻(荊渓和尚撰)学意三昧文句一巻(荊渓和尚撰)他にも、『法華文句』に関する幾つかの文献があるようだが、それは割愛した。いや、見たことがあるのは最初の『法華文句』くらいで、後の2つは分からない。当方の勉強不足が際立つ話である。とこ...『菩薩戒文句』について
禅宗は、坐禅を中心に据えてはいるものの、実際には多くの経典・論書などに基づいて成立し、その全体を一語で表現することは難しい。その上で、例えば、六祖慧能より以前の初期禅宗では、三学について空思想を元に一切否定するような禅僧もいた。また、六祖の系統では「頓悟」を重んじ、同じく、三学などの修行体系を一切否定する見解もあった。粁、また問う、「如何なるか是れ戒・定・慧」。師(=薬山)、曰く、「貧道の遮裏、此の閑家具無し。粁、玄旨を測ること莫れ」。『景徳伝灯録』巻14・薬山惟儼禅師章、『大正蔵』巻51・312b「粁」というのは、当時の朗州刺史(州知事)であった李粁のことであり、その者が薬山惟儼禅師(745~828)を供応した時の問答である。知事から「戒定慧とは何か?」と聞かれた薬山は、「我が家風には、そんな無駄な物は...禅宗と三学について
日蓮宗には江戸時代中期に編集された『草山清規』がある。本書だが、元々は真言律宗にて律を学んでいた慧明院日燈(1642~1717)が、深草元政が構築した「法華律」の門に入ったことによって制定された。その中に、禅宗系と比べると、かなり興味深い十仏名があるので、見ておきたいと思う。なお、本書では「十仏名」と書いているわけではない。ただし、食事の際の念誦で挙げられており、元々が我々禅宗の清規を参照したことを思うと、間違いなく「十仏名」である・・・と思っていたら、台厳上人『草山清規纂註』では「十仏名」だと記載していた(22丁裏)。よって、そう理解して良さそうである。ということで、内容を早速見ておきたい。南無久遠実成釈迦牟尼仏南無証明法華多宝仏南無十方分身釈迦牟尼仏南無当来下生弥勒尊仏南無十方三世一切諸仏南無大乗妙法...日蓮宗の十仏名
今日8月19日は、語呂合わせで「俳句(8・19)の日」らしい。少し調べてみると、以下のような成立の経緯が知られるようである。・俳句の日(コトバンク)京都教育大学名誉教授の坪内稔典先生などが提唱され、1991年に制定されたのが「俳句の記念日」とのことである。そういうことなので、今日は「仏教と俳句」という観点から記事を書いてみたい。とはいえ、俳句、元々は「俳諧」とも呼ばれ、江戸時代に連歌の発句のみ連句する様子を指したという。確かに、百人一首を含めてそれまでの和語の道歌といえば、和歌(短歌)の形式が主であり、俳句を詠んだ仏教者は、江戸時代以降しかいない、ということになる。また、俳人で仏教俳句を詠んだ事例も多いが、この辺は既に【8月19日俳句の日】などで紹介したこともある。参照されたい。ということで、仏教者で俳句...今日は「俳句の日」らしい(令和4年度版)
以前、【仏教用語としての「緇白」考】という記事をアップした時に、気付いたら「緇白」の話から、「緇素」へと話題が変わっていたことがあった。そこで、その内に「緇素」についても記事を書きたい、という話をしていたのだが、検討するべき文章があったので、紹介しつつ記事にしておきたい。【丗九】緇素の事△緇素と云、黒白歟如何をとこをば白衣と云ふ、僧をは黒衣とおもへり、緇はくろし、素はしろしとよむ字なれば、黒白衣をとりあはせて、緇素と云、道俗の二字をば、日本紀にはをこない人、しろきぬとよめり、しろきぬは白衣の衆と云心也、但毛詩に緇衣の篇あり、これは別の事、僧の黒衣には非ず、緇衣をは卿士と朝服也と云へり、をとこのきる袍のいろなり、俗を白衣と云はんには、しろき袍をこそきるべきに、僧の黒衣のいろの定にて、道俗ともに同じ緇衣の心え...仏教用語としての「緇素」考
昨日が正当の盂蘭盆会、今日からは「裏盆」というらしい(興味のある方は「裏盆―つらつら日暮らしWiki」を参照されたい)。そこで、今日からは盂蘭盆会について話が出来なかったことなどで気付いたことがあれば、不定期に記事にしておきたいと思う。そういえば、盂蘭盆会には自宅の盆棚に御先祖様が帰って来るという話を聞いたことがあると思う。その際、何に乗って帰って来るという話があると思う。当方が聞いたことがある話としては、「キュウリの馬に乗って急いで自宅の盆棚へ帰ってきて(どこから?)、なすびの牛に乗ってゆっくり戻っていく(どこへ?)」というものだったのだが、これは何か典拠があるものなのだろうか?そこで、調べてみた。江戸時代以前の成立となる『塵添壒曩抄』や『寂照堂谷響続集』、『和漢三才図会』などには、もちろん「盂蘭盆会」...裏盆に盂蘭盆の続きの話「なすびの牛・キュウリの馬」について
今日は8月15日、終戦の日であるとされる。実際には、連合軍によって発せられたポツダム宣言の受諾を示す昭和天皇の玉音放送が行われたという日となる。実際に、日本の第二次世界大戦(太平洋戦争)の降伏文書の調印は、1945年9月2日に東京湾に入った、アメリカの戦艦ミズーリ艦上で行われたことは、良く知られていると思う。さて、今日は仏教と戦争について考えてみたいのだが、第二次世界大戦期に日本の国威発揚、継戦への協力を訴えた仏教者として名前を挙げるとすれば、雄弁家として知られていた加藤咄堂居士(本名:熊一郎、1870~1949)であろう。例えば、咄堂居士には文字通り『戦争と信仰』(大東出版社・昭和13年)という著作が存在している(国立国会図書館デジタルコレクション)が、その目次を見ていただくと、本当に戦争について肯定的...今日は終戦の日(令和4年度版)
今年の盂蘭盆会に関する記事は、江戸時代中期に活動した真言宗系の学僧・諦忍妙竜律師(1705~1786)の『盆供施餓鬼問弁』(明和2年[1765]版)を学んでみたい。なお、この文献については、当方も版本を持っていて、それを参照しつつ記事を書いてみたいと思っている。〇問、盆供は自恣の僧を供ずる筈なるに、その本意を失ひ、今に至りては偏へに亡霊の祭りのやうになりたるは、何れの時よりか起こるや。答、旧唐書に曰、大暦元年丙午七月壬午、帝、盂蘭盆会を禁中に作す、高祖大宗已下七聖の位を設け、巨幡を建て、帝号を以て其の上に標し、大廟より迎て、内道場に入る、是の日、百僚を光順門に立仗して、迎并導従す、是れより歳ごとに以て常と為す〈云云〉、此時より祭りのやうに成りたるなり。『盆供施餓鬼問弁』2丁表~裏、カナをかなにし見易く改め...諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ4(令和4年度八月盆⑥)
ご訪問いただき、ありがとうございます応援いただけると、とても嬉しいです♪ 皆様こんにちは しまった。。。上書きしてしまった。。。! 前回に引き続き 雅楽伝承へ…
今年の盂蘭盆会に関する記事は、江戸時代中期に活動した真言宗系の学僧・諦忍妙竜律師(1705~1786)の『盆供施餓鬼問弁』(明和2年[1765]版)を学んでみたい。なお、この文献については、当方も版本を持っていて、それを参照しつつ記事を書いてみたいと思っている。〇問、法苑珠林に大盆浄土経と云を引て仏在世広大無辺の盆供の事を明せり、然るに大蔵目録を捜れども此経なし、如何。答、此は是偽経なり、道世誤て引のみ、大凡そ盆供の事は世流布の盂蘭盆経より外は、一切依用すべからず。『盆供施餓鬼問弁』1丁裏、カナをかなにするなど見易く改めるこちらだが、実際に典拠となる『大盆浄土経』から引かれたとされる文章を見てもらった方が早いと思う。問うて曰わく、七月十五日、既に開道俗の盆を造りて献供することを開く。未だ知らず、宝盆を造り...諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ3(令和4年度八月盆⑤)
今年の盂蘭盆会に関する記事は、江戸時代中期に活動した真言宗系の学僧・諦忍妙竜律師(1705~1786)の『盆供施餓鬼問弁』(明和2年[1765]版)を学んでみたい。なお、この文献については、当方も版本を持っていて、それを参照しつつ記事を書いてみたいと思っている。〇問、今時世上を見るに、七月に入や否、直に盆供を執行ひ、施餓鬼と盆供とは全く一事なりと思ひ、混乱して修する者あり、是歟不是歟、如何。答、是は大ひに不可なり、施餓鬼と盆供とは各別の物なり、何ぞ一混ずべけんや。盆供は目連より起り毎日黄昏に修す、盆供は百味五菓を以て十方自恣の僧衆を供養し、施餓鬼は一器の浄食を以て専ら餓鬼趣を救ふ、由来雲泥の隔あり、是を一混するは大なる謬なり。『盆供施餓鬼問弁』1丁表、カナをかなにするなど見易く改める本書は、前半が「盆供養...諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ2(令和4年度八月盆④)
今日は「山の日」である。この日は、2014年に制定されており、祝日としては新しいものである。そして、祝日について定めた祝日法を見ていくと、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という趣旨であると分かる。とはいえ、由来などは書いていないため、まぁ、何となく「お盆休み」の日付を増やす方便だったのでは?という感じがしてしまう。ということで、今日は「山」に関する教えを見ていきたいと思うのだが、仏教で「山」といえば、やはり「須弥山」であろう。その「須弥山」について、或る偈文が伝わっている。故に古の云わく、信施の一粒米、重きこと須弥山の如し、若し人道を了ぜざれば、披毛帯角して還らん。『仏祖三経指南』以上の通りなのだが、この偈文、余り古い文献には出てこない。参考までに、上記のも中国の禅僧・為霖道霈禅師(1615~...今日は山の日(令和4年度版)
長崎県長崎市では、8月9日に77回目の原爆の日を迎えた。長崎市松山町の平和公園では、午前10時40分から市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(平和祈念式典)が開かれ、原爆投下時刻の午前11時2分に黙祷を捧げられる。なお、式典そのものは被爆者や遺族など約1700人が参列する予定とのことである。そして、7月末までの1年間に死亡が確認された3160人の名前を記した原爆死没者名簿3冊を奉安し、死没者数は19万2310名となった。しかし、このように死没者の「数」を表記してしまうと、ただの観念になってしまうが、実際のお1人お1人にはそれぞれの人生があり、尊厳があるわけだが、その全てが原子爆弾によって踏みにじられたわけである。このような戦争の苦しみ、悲しさを前にすると、1人の仏教徒として、「不殺生」のことを思わざ...8月9日長崎原爆の日に思う「不殺生」(令和4年度版)
ご訪問いただき、ありがとうございます応援いただけると、とても嬉しいです♪ 皆様こんにちは 連日暑い日が続いていますね。あと1週間経ったらもうお盆休みですね。皆…
今日8月8日は「そろばんの日」とされる。理由は、そろばんの珠を弾く音が「パチ・パチ」であり、語呂合わせで今日となった。そこで、色々と見ていくと、禅僧による或る説法が目に止まったので、紹介しておきたい。上堂。山漉漉、水漉漉。四天王、昨夜、忽ちに無明をして逐わしむ。算盤子、打過了す八万四千九百九十零九遍なり。衆兄弟、什麼と為てか我が廚下の火頭を累せん。直に如今に至って睡不足なり。下座して曰く、参、と。『五灯会元続略』巻4「常州龍池幻有正伝禅師」幻有正伝禅師(1549~1614)とは明代末期の臨済宗の僧侶である。この人を扱った先行研究もあるようなので、興味のある方はお調べいただくと良いと思う。さて、今回取り上げた説法を見ていくと、意味としては、山も水もじっとりとしている(その時の住持本人の感触を述べたものか?)...8月8日そろばん説法
8月6日、広島県広島市では、被爆から77年となる「原爆の日」を迎えている。広島市中区の平和記念公園では午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、原爆が投下された8時15分に合わせて黙祷が捧げられた。当方もテレビの前ではあるが、合掌し黙祷した。今年も、新型コロナウィルス感染症の関係もありますが、一般席も用意され、約3500人が参列されるという。なお、全国の被爆者はおよそ11万8935人となり、始めて12万人を下回ったという。そして、平均年齢は84歳を超えているため、近年語られていることですが、被爆の体験、戦争の悲惨さを、如何にして後世に伝えるかが問題となっている。また、今日の式典では、この1年で死亡を確認した4978人の名簿が原爆慰霊碑に奉納される予定で、死没者は33万3907人...8月6日広島原爆の日に思う「不殺生」(令和4年度版)
勝手な感じだが、8月5日になったので、八月盆(8月に行われる盂蘭盆会)について考えようと思う。今日から8月14日まで、幾つかの記事をアップするようにしたい。ところで、明治期に行われていた日本の仏教儀礼研究の成果を見てみると、盂蘭盆会については『日本書紀』を典拠にしつつ、推古天皇の御宇に行われたとする場合が複数見られた。そのため、典拠とされる一節を見てみた。十四年夏四月乙酉朔壬辰、〈中略〉是の年より初めて毎寺、四月八日・七月十五日に設斎す。『日本書紀』巻22「推古天皇」項以上の通りなのだが、これは推古天皇14年(606)のこととされる。そして、この年、奈良や飛鳥の諸大寺に仏像が安置されたことを示すのだが、その一節の末尾に「毎寺、四月八日・七月十五日に設斎す」とあるのだが、この内、「四月八日」については説明は...日本の盂蘭盆会の始まり(令和4年度八月盆①)
APD/LiD(聴覚情報処理障害/聞き取り困難)の記事
どのように生きるのか 一緒に生きながら 考えていきましょう^-^
昨日は、心療内科へ行きました。 以前受診していた病院は、一ヶ月以上先にしか予約がとれなかった。 待てないので、検索して近くで見つけられたので、電話してから行って来ました。 一番驚いたことは、全く私の顔をみないことです。 こう医者がいるんだ。 ただ机の上の紙を見ながら、話すばかりです。 薬をもらいたいので、落胆しながらもやり過ごしました。 私への診療時間が、結構長かったのですが、会計の時わかりました。 診療30分と記載されてありました。 しっかり診療報酬として規定があるのかもしれません。 薬は3種類で、20日分もらいました。 少しでも、効果があればいいのだけど……
畑には3本のイチジクがあります。 昨年は豊作で、食べ切れないほど実りました。 私が元気なら、今年もイチジクの世話をしたかったのですが、膝が痛くなってしまい、もう無理です。 このままにしておくと、大株になるので枝を切り詰めました。 1本の半分もできなくて、全部が終えることができるだろうか😔 膝が痛くなってからは、気持ちが落ち込んで、食欲もなくなりました。 心療内科を受診したくて、知っているクリニックに予約しました。 予約日は、4月27日になりました。 一ヶ月以上も先です。 長すぎます😔 このクリニックは、以前お世話になっていたので、知った病院がよくて、ここにしました。 待てるだろうか…… 他のクリニックも探してみようと思います。
心の悩みを紐解いて行くちょっとした一言を書いています。 悩みの根っこを自分で知る事で、心がリセット出来る様になります。 LINE公式カウンセラー 心屋認定講師
心身ともにリフレッシュでき、疲れをリセットすることができるリトリート、ヒュッゲ。 リフレッシュするために行っているコト、場所などシェアできると嬉しいです^^
目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
生まれながらの性格を元に作られた性格統計学。自分の本来の性格を知って健やかに暮らしたい♪を学びながら実践!!
私たちの感情はネガティブに支配されがちですが、そこも愛して自己肯定して、自己受容して行く生き方のコンテンツになります。ご自由にご参加下さい(^^)
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