「声聞戒」という表現について
大乗仏教が菩薩という理想的な修行者を前面に押し出すと、それまでの一般的な修行者を声聞として位置付けた。それに伴い、戒律についても、「菩薩戒」という表現や思想的体系が打ち出される一方で、従来の戒を「声聞戒」と呼称した・・・はずなのだが、個人的にどの辺が最も古いのか気になった。もちろん、一般的には大乗『大般涅槃経』での、菩薩戒と声聞戒との対比が知られていると思う。戒に復た二有り、一には声聞戒、二には菩薩戒。初発心より、乃至、阿耨多羅三藐三菩提を得成す、是れを菩薩戒と名づく。若しくは白骨を観る、乃至、阿羅漢果を証得す、是れを声聞戒と名づく。若しくは声聞戒を受持すること有る者は、当に知るべし是の人、仏性及び以て如来を見ず。若しくは菩薩戒を受持すること有る者は、当に知るべし是の人、阿耨多羅三藐三菩提を得て、能く仏性...「声聞戒」という表現について