APD/LiD(聴覚情報処理障害/聞き取り困難)の記事
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1件〜100件
このブログではこれまでに『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここではそれをスピリチュアル系『自己責任論』…
私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、…
人間万事塞翁が馬って故事があります。 幸は不幸となり、不幸はまた幸となり変転止まるところを知らないって諺です。その変転が結局どういう結末を迎えるかは誰にも分からないのです。 効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、それがいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。変わりゆく『時と場合』にちっぽけな人間という種族が全て対応することなんて出来ないからです。ここでいう効率主義ってのは「いつでも何処でも『ムダ』を省いてスピーディにやるのがカッコいいんだぜ」みたいな考え方のことです。もっと言えば、物事を上手くやるための単なる道具ではなく、『価値観』としての効率に縛られてる思考のことです。それを個…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2017年2月の記事 波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベル…
人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。そういった『人間の日常』に根ざしたありふれた平衡感覚を先ず大切にすることが心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知能力と…
この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とかです。 不確…
「この世の可成りの部分はやり方次第でテクニカルに操れるんじゃないか」と信じている人が世の中には結構いらっしゃるような気がしています。 そういう人々の心の奥底には「人間なんて案外簡単に操作出来るものだ!」っていう想いが横たわっているのでしょう。 じゃあなけりゃ、そんな考え方になりませんからねぇ。 その手のメンタリティを持つ人をごく個人的に『操れる系の人』と呼んでいます。 で、『操れる系』の思考をされる方は「心の全てを今現在の自分の顕在意識でコントロール出来るはずだ」と無邪気に信じてるような気がします。 だからこそ今現在の顕在意識で過去から今に至る潜在意識の深奥まで操れるなんてことを本気で考えてし…
何かを知るということはその分『己れの無知』を知ることでもあります。 一筋の光に気付けばその周りの闇の深さを否応なく思い知らされるのです。なので、得てして知るということにはある一定の苦しさを伴うものです。その苦しさがイヤでイヤで知ることから逃げ出してしまう人も少なくありません。単純に「分かれば上手くいく」と信じてる人は『知ることの闇』を舐めています。 「知れば知るほど分からなくなる」なんてことはその辺にゴロゴロ転がっているのです。ヘタな希望は簡単に絶望に置き換わります。絶望を友にして希望に向かって進むくらいで丁度良いのではないでしょうか… 所謂霊的なことについて知ることも、自分が何も知っていない…
「オレって何でも分かってるんだぜ」って感じを常に漂わせてる人が世の中にはいらっしゃいます。そういう人をお見受けすると一人心の中で「ドヤ顔仮面参上〜!」と思ってしまうのです。 まぁ、ドヤ顔仮面っていうのはごくごく個人的にそういう人に付けたアダ名ですけどね…ドヤ顔仮面に成る人の心の視野は狭いです。逆にいえば心の視野が狭いから何の気兼ねもなくドヤ顔になれるのです。心の視野の狭さとは人間に本来備わった五感によって感じられるはずの感覚を十分感じられなくなった状態のことです。 簡単にいえば心がヒドく鈍感なのです。どんどん心が鈍感になれば「自分が鈍感であること」さえ分からなくなるのです。 何が問題といって「…
人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界もそれに連れて歪む」ってことです。そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほど「これこそが真実そのものなのだ!」と本気で考え出すのです。 歪みが恒常化するってのは簡単に言えば「慣れる」ってことです。 人間は何にでも慣れるものです。 良くも悪くもほっとけば与えられた環境にドンドン慣れていきます。 慣れるということは違和感がな…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2017年2月の記事この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みの…
人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。 想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。 慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。 心の視野の狭さとは人間に本来備わった平衡感覚によって感じられるはずの感覚が十…
私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、…
人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。快楽もあれば苦痛もあります。そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。そういった『人間の日常』に根ざしたありふれた平衡感覚を先ず大切にすることが心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知能力…
世の中の人の多くは「自分の心の自由度」についてあまり認識していません。 それについて考えてる人自体それほど多くないように感じます。多くの人は「自分の心なんだから基本的に丸ごと自分の顕在意識で以ってコントロール出来るようになってるはずだ!」と何とな〜くぼんやり信じてるんじゃないでしょうか?実際何処までコントロール出来てるかどうかは置いといて『構造』としてね…しかし、実際には只今現在のその人の顕在意識でコントロール出来る部分っていうのは心全体の半分もあればいい方でしょう。残り半分以上は顕在意識じゃないモノの影響を受けているのです。影響を受けているというのはやんわりとした表現で実態としては振り回され…
所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければ物でも、人でも、出来事でも、無制限に自分の元へ引き寄せられる!」ってことらしいです。その根拠となるのは私なら私が考えたことが世界そのものを創っているって理屈みたいです。だから、何でも私の考えた通りになるのだと… 最近もこんな文章を拝見しました↓ あなたがそう思うなら、そうなります。いつだって、そうとしかなりません。実は、今までもずっとそうでした。あなたの宇宙は、どんなにややこしく解釈したくても、いつの日もとてもシンプルでした。 しかしながら、現実はそんなに思い通りには行くもんじゃありません。なの…
ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分がちゃんと見たり聞いたり触れたりするモノ以外はマヤカシだ!」って発想のことです。 例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。 幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってことだけなのです。 唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』は自分サイズの時空間に収縮していきます。 あくまでも「その人自身に見えたり聞こえたり触れたりする世界が」の話ですけどね。 具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を考えら…
目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…
旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。 この筋書き通りなら遥か昔ですが、この世には一度楽園があったってことになります。だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元々ラ…
精神的なモノであれエネルギー的なモノであれ人間は自分にダメージとなるモノがやって来ると無意識にそれを小分けにして耐えようとします。 例えば生まれてから今までの『苦しみ』のすべてが一つの大きな塊のようになっていたりしたら、あまりにもダメージが大きくて耐えられないでしょうからね…そのため分割して隠してしまうのです。隠してしまうとは自分自身の顕在意識からは認識しにくいようにするという意味です。心の在り方としては潜在意識の奥に押し込んでしまうのですが、現実問題として身体のあちこちに地雷のように埋め込まれていたりします。何らかの体感を伴ってね…人間の心にはそういう機能が標準装備されてるんだと思います。ダ…
「所謂『守護霊』といわれるような存在が本当にいるのか?」といえば「まぁ、いるんだろうな」とは思っています。 基本生まれた時から亡くなるまで同じ一人のヒトが守護しているみたいです。 その多くは血縁のご先祖でしょうが、それも絶対ではありません。 ただ、守っている人との間に何らかの強い縁があるのは確かでしょう。 ただ、守るといってもべったりと密着しているわけではありません。 ましてや子離れしない過干渉の親のように見えないチカラみたいなのを使って何処かに呼んだり、何かをさせたりする者ではないのです。経験上人間のやることにあれやこれやと細かく指図してくるのは9分9厘物の怪など人外のモノの仕業だろうと考え…
波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルというのは誰かの『正しさ』を表すバロメーターではありません。 また何らかの『チカラ』を計るための物差しでもないのです。 ただ、人が自然で無理なく生きるための目印には十分なると思っています。 波動のレベルを見る時に一番分かりやすいバロメーターは荒々しさです。 その荒々しさを見る一番分かりやすい目安が言葉です。 人は自分の使ってる言葉の波動に大なり小なり共鳴しています…
人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。 慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。 人間心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなります。 見えてるのは『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドです。 そして、そのマイワールドこそ『世界』そのものだと勘違いし…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2017年4月の記事 波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベル…
例によって例のごとく独断と妄想のお話です。 話半分でお聞きくださいm(_ _)m 人間世界はまるで遠心分離機にかけられたように白と黒、上と下、右と左という風にハッキリと分かれ続けているように見えます。 その現象は止まることを知らず、様々なモノの違いがどんどんくっきりしてきました。 昔ならあったはずのグレーゾーンが無くなったために波動的な『緩衝地帯』もまたなくなったのです。 アナログ放送が地上デジタルになったように残酷なまでに『素の生地』がハッキリ見えてしまうようになりました。 その傾向が一気に強まったのは直近では東日本大震災の起こった2011年からです。 ただ、そのそもそもの発端は1989年に…
自信についてこれまでこのブログでは以上のように説明してきました。 改めて要約すると① 世間一般で言われている自信という言葉の意味は、「物事を知悉し習熟することによって得られる心の安定のこと」である。よって、自信の有無には知識と訓練が必須とされる。 ② このブログでいうところの自信は知識と経験値の集積には基づかない。生まれてきた時のその人の魂の状態によって自信の有無は決定している。 それで、本当の自信というのを①のようなモノと思ってる人が世の中には圧倒的に多いです。ていうか世間的には自信ってのはすべて①みたいなモノと考えられてますからねぇ、そう思うのも致し方ないでしょう。 でも、そう思ってる時点…
今回、ご紹介させていただく「方法」ならば、365日24時間、必ずエントリーでき、楽天市場でのお買い物全てにおいて、購入金額の1%分のポイントをゲットできるので、ポイントを取りこぼすことが非常に少ないのではないかと思います!しかも、現金化も可能です!
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 最近また街のあちこちでウネウネと黒い蟲のようなモノが蠢いていたりします。 ここでいう蟲というのは眼に見えないイモムシのようなエネルギー体のことです。 それは生きてる人の…
「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方があります。 たとえ今分からなくてもいつかは必ず分かるモノだとね。 この「何でもわかって当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方のことです。 逆にいえば、物事に完璧な調和と整合性を常に求めようとするってことでもあります。 また求められるものだと信じているのです。ただ、それが如何に博覧強記の者であれ、この世は1人の人間の理解の範疇にスッポリと収ま…
例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうして臭いのか考えますよね?「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で捉えているということになります。「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと (感覚として) 臭いだろうよ!」と思われる方もいらっし…
例えば「うす汚れた『現実』に跪け!」みたいなことを叫ぶオトナが世間には大勢いらっしゃいます。 会社とかでの出世競争を例にするなら「足の引っ張り合いはあって当たり前なんだからその状況に抗うな! むしろそういう『現実』を積極的に受け入れて参加しろ!」とか訳知り顔で宣うのです。『目の前にあること』を単純に事実として不自然なく認識することはそりゃもちろん大切です。ただ、『目の前にあること』が『本来あるべきカタチ』なのかどうかはまた別の話です。うす汚れた『現在の状況』をあるべき姿としてしたり顔で肯定するのは成熟した『大人の態度』などではありません。単に「社会なり組織なりにマインドコントロールされた『飼い…
この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 もっと簡単に言えば、元々この世に生きていて、死によって肉体を失くした人間を『幽霊』とするならば、端から肉体を持っていない人外の存在が『物の怪』ってことです。 ただ、元々肉…
このブログではこれまで『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると…
ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに人外のモノとギブアンドテイクの関係になることです。念のため申し上げれば、本当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないです。亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどが悪魔の契約の相手です。 ここでいう人外のモノというのは…
この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 不安定は不安を生み、不確実は恐怖を生みます。 人はその不安と恐怖から逃れたいと思うものです。 だから、絶対に確実で安定したモノを求めたがるのでしょう。藁をもすがるような想いでね… 安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 ここでいう思…
森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。逆に言えば、生きている限り「心のバランスを常に取り続けること」が必要だということです。 人間はその「バランスを取る」というところからズレてしまうと心が迷います。でも、バランスを取る作業っていうのはやっぱり地味でしんどいんですよね〜。達成感や充実感が少ないことの方がほとんどですから…なので、「あいつは (一方に) 突き抜けててカッチョい…
そもそも神社仏閣にはカミサマが居るから悪いモノは近付かないと思ってる人もいらっしゃるかも知れません。ていうか神社巡り大好き系のスピリチュアルな人々は無邪気にそう信じてる人の方が多いような気がします。でも、ハッキリ言って神社仏閣にいるエネルギーってのは玉石混淆です。簡単にいえば清らかなモノもいれば穢れたモノもいます。特に大きな神社とかは本殿のものとは違う社を敷地の中にいくつも祀ってたりしますしね。鬼が出るか蛇が出るか、何が出てくるかなんて分からない状態です。それに、そういう場所にいるチカラの強い人外のモノはカミサマ的に崇められていることが少なくありません。その勢力範囲が神社仏閣の外まではみ出して…
ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも純度100%の完璧さみたいなモノをみんなが求めすぎてるってことです。 だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのです。「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的には感じるのです。人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるだろうと… 人間に対する期待値を上げるってことは結局自分に対する期待値を上げてるということでもあります。 自分に純度100%の完璧さを求め続ければ、そりゃ生きづらくもなりますよ…
にほんブログ村アクセスありがとうございます ガンや病気を現在かかえていて、別のアプローチも試してみたいという方のための記事です。 もしも誰かに勧めたいと思ったら、言葉であなたが説明するのは避けて、
にほんブログ村アクセスありがとうございます ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆☆☆ 今年も濃密な時間をいただきありがとうございました。 部屋を見れば、その人の心境や
結局評価とは他人がするものです。 どこまで行っても他者によって為される行為であって、自己を評価するって行為はそもそも必要ないんじゃないかと個人的には思っています。 自分がしなくちゃならないのは『認識』です。『真っ当な自己認識』ってヤツが必要なのではないでしょうか? 評価とはある一定の基準のもとに『物ごとに優劣を付けること』です。もっと下世話な言い方をすれば『人や物に値札を貼ってまわること』です。 自分で自分に値札を貼る者は、必ず自己肯定感が低下していきます。自分で貼った値札と他人が貼った値札には常に落差が生じるからです。 十中八九自分の貼った値札の方が他人の値札より安いのです。それも呆れるほど…
こんにちはleafangelです。大天使ラファエルと話すようになってから、私は自分の失っていた過去を思い出して心の整理をしてきました。そしてちょうどその最中に「アセンション」とか「ツインレイ統合」という言葉を知りました。私にとっては大天使ラファエルと話すようになってからそのような言葉を知ったことになります。何しろ「チャネリング」という言葉も、むかし20代の頃にエクトンという存在の本を読んだ当時は意味が全く理解できずにいたのです。
本当にあった怖い話ってのがありますが、今回は本当にあったデキすぎた話ってのを語ってみようと思います。 当然ですが実話です。 若い頃の私といえば放蕩と呼べるほど大層なことはしてませんが、それなりに遊びまわってはいたのです。 地方都市ではありますが、家は歩いてふらっと飲みに行けるくらい繁華街に近いところにありましたので、何かといえば理由をつけて一人だろうと平気で飲み歩いておりました。 そんな生活をしていたある時の話です。 その日は確か昼間に台風が通って夕方まで雨が残っていたんじゃなかったでしょうか? 夜になると台風は行き過ぎて雨も上がっていました。 とはいえそんな日の夜にわざわざ知人・友人にアポを…
生物と無生物ではエネルギーの強さも量も全く違います。一言にいえば無生物のエネルギーは生物に比べて圧倒的に微弱なのです。 例えば人間の『想念エネルギー』に仮に100という値を与えた場合、所謂パワーストーンと呼ばれるような『鉱物のエネルギー』の値は1.0~2.0くらいです。生き物と生き物でない物の『エネルギーの強弱』の差とはかくの如きものです。 もちろん無生物には無生物でそれぞれ固有の波動エネルギーは存在します。ただ、生きている者のエネルギーとはエネルギーの強さ・大きさにおいて比較対象にはならないってことなのです。 なので、もし石だのお札だのといった所謂スピリチュアルな品物から何らかの強烈なエネル…
波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルというのは誰かの『正しさ』を表すバロメーターではありません。 また何らかの『チカラ』を計るための物差しでもないのです。 ただ、人が自然で無理なく生きるための目印には十分なると思っています。 波動のレベルを見る時に一番分かりやすいバロメーターは荒々しさです。 その荒々しさを見る一番分かりやすい目安が言葉です。 人は自分の使ってる言葉の波動に大なり小なり共鳴しています…
森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 だから、私は自分のことをいつでも必ず正しいなどとは思わないようにしています。 「そこそこイケてることは言ってんじゃないの〜」くらいには密かに思ってますがね(笑)人間誰しも間違うこともあるし、勘違いしてしまうこともあります。「それがあって当然だろう」という前提に立ってるくらいで、ちょうどバランスが取れるんじゃないでしょうか。最近はよく…
この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 この世には途轍もない数の妬み、恨み、怒りなどの暗くねっとりとした情念があります。そういった情念が一つの集合体となり、ある種発酵というか化学変化のようなものを起こして、一つ…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 以前にも少し書いたことがありますが、私はヒーリングというものに携わるようになって何年か経った後、人間の醜い面をこれでもとかと見させられる経験をしました。 とあるヒーラー…
この世において肉体のある者のエネルギーは肉体のないモノに比べて圧倒的に強いということを以前述べたことがあります。 それが生身の人間の強みであるとね。 生き物の生は肉体と魂が結びついているが故に成り立っています。 肉体という器に魂というエネルギーの塊が入って結びついている状態が「生きてる」っていうことです。 無生物のエネルギーは生物のエネルギーに比べて圧倒的に微弱なのは肉体も魂も両方持ち合わせてないからです。 スピリチュアルな人々の多くがお好きなモノに所謂『パワーストーン』ってのがあります。 所謂『パワーストーン』ってのに価値を見出すのは「特定の鉱物には他の物質にはない特別で強力な眼に見えないチ…
目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…
例えば菜食主義の人ってのは人間>哺乳類>魚類>植物という風な構図がピシッと頭の中に入ってるんだろうと思うのです。人間を頂点とした生物のピラミッドを描き、人間に近いものほど霊的に偉いんだという生物観をお持ちなのでしょう。 そういった生物観はスピリチュアルな人にもすごく多いように感じます。 例えば亡くなった動物の多くが低級な獣霊になって悪さをするみたいにおっしゃる方も結構いらっしゃるみたいですし… もちろんどのような思想信条をお持ちになろうとそれぞれの全くの自由です。 「人間は万物の霊長で地球の王様なんだぞ!」と考えたって自由です。 ただ、個人的にはそういう考え方にはすごい違和感を感じるってことで…
ロシア軍 旗艦「モスクワ」が沈没 米報道官「戦力に影響」nhk2022年4月15日こうした中、ロシア国防省は14日、ロシア海軍の黒海艦隊の旗艦「モスクワ」につ…
ぶっちゃけた話いまの世の中、生きることのハードルが上がりすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも純度100%の完璧さみたいなモノをみんなが求めすぎてるってことです。 だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのです。「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的には感じるのです。人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるだろうと… 人間に対する期待値を上げるってことは結局自分に対する期待値を上げてるということでもあります。自分に純度100%の完璧さを求め続ければ、そりゃ生きづらくもなります…
にほんブログ村アクセスありがとうございます フライングスターの移行にともない、チャートの見直しをしましょう。 風水とは、内なるあなたが時と場所を選んだ人生で意味のある環境です。 だからどんな住ま
人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。 想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。 慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。心の視野の狭さとは人間に本来備わった平衡感覚によって感じられるはずの喜怒哀…
現在日本では少子化が大きな社会問題として騒がれています。 簡単に言うと少子化→人口の縮小→経済の縮小→国家の衰退という筋です。 主に人口の縮小によって各種の公共サービスの財源が失われることだけが問題であるかのように事は矮小化されています。 逆にいえば「日本単体の出生率さえ回復させられれば、『解決出来得る問題』である」とボンヤリと捉えられているってことです。 日本が少子化になっていても「世界的規模で見ればこれからもずっと人間の個体数は増え続け、人類は発展し続けるであろう」と大多数の人々が何とな〜く素朴に信じているように見えます。 本当の問題は、簡単に言うと「世界人口の不可逆的な縮小→世界文明の長…
感謝って何だろーかぁ。と時々思う。自分にもね。 なんだろうねーぇ。ひとつの出来事から、オセロのように白黒を反転させる。その人への印象や思いを。感謝までも。一つ…
星が降る夜土と草の匂い星が弧を描くいくつも いくつも 掴めるような気がして 手を伸ばす 手を伸ばす多分 隣には父がいた 流星をわが子に見せようと寝ている私を連…
以前「絶対外れないようになってるリバーシブルな予言」って話をしたことがあります。 先ず「近いうちに未曾有の天変地異が日本に襲いかかります!」とか予言めいたことを語ります。「ただし、大きな祈りが実践され成就すればその天変地異は回避されます」と続けるのです。ここにすでにリバーシブルな伏線が張ってあります。表: まず予言めいたことを意味深に語る → 該当するようなことが起これば「言っていた通りになってしまいました!」と深刻な顔でいう裏 : まず予言めいたことを意味深に語る → 該当するようなことが起こらなければ「大いなる祈りのチカラで最悪の事態は回避されました!」とキメ顔でいうつまり、言ったことが起…
所謂『憑かれる』といってもオカルト系の漫画みたいにド派手な怪奇現象が起こるなんてことはそうそうはありません。 もし起こったとしても随分状況が進行した段階でのことです。それも誰にでも分かることってのは少ないでしょう…憑きモノってのは最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸食していきます。浸食した部分はその人じゃないモノにアハ体験のように差し替えられていくのです。アハ体験というのは、差し替えられた部分がご本人からは分かりづらくなってるという意味です。意識して見れば違うのでしょうが、意識しなければ中々違いが分からないでしょう。差し替えられた部分が大きくなればなるほど周りから見れば明らかにオカシク見…
人間は誰しも主観的な存在です。純粋に客観的な人間など一人も存在しません。なので、大なり小なり心には偏りが存在しています。偏りのない人間など何処にもいないのです。元々偏っているんだからその偏りを小まめに修正する必要が出てきます。そうしないとそのうち心は振り切れてしまうからです。心が振り切れれば振り切れるほど物事を単純化してで捉えるようになっていきます。偏りが大きくなった分、心の中身が詰まってないスカスカになってる箇所が増えていくからだと思います。 そうなるとスカスカになった部分には何とか中身をみっちり詰めたくなるのでしょう。 まあ、半ば無意識にですが… で、大抵は現実とズレたファンタジーな内容が…
人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界もそれに連れて歪む」ってことです。そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほど「これこそが真実そのものなのだ!」と本気で考え出すのです。歪みが恒常化するってのは簡単に言えば「慣れる」ってことです。 人間は何にでも慣れるものです。良くも悪…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん…
世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。 ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。そして、それこそが「善を為すことだ!」と信じていたりします。そういう人は必然的に他人に対して押し付けがましくなっていくものです。何故なら「分かってない奴らにオレ様が本当のことを教えてやるよ〜!」って感じの『熱い想い』が心の底…
このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここではそれをスピリチュアル…
ヒーリングなどしておりますと様々なエネルギーに出会うことになります。日々発見と言っても過言ではないでしょう。いわば不可思議の連続です。全てが分かるようになることなど一生ないと思います。誰でも、眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるでしょう。発見がそこら中に転がっている世界だってことです。アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですよね。多分いまだ人類の知らない生き物たちがそこら中に当たり前に居るんだと思います。我々のいるのはそういう世界だってことです。そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見に溢れている世界だ」ということです…
日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主たる「顕在意識」を差し置いて本人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。私はそれを自縛のエネルギーと呼んでいます。 自縛のエネルギーの始まりは大抵幼児期における人との関わりの中から生み出されます。まぁ、最初は母親か父親のどちらかである場合が非常に多いです。 親の言葉や行動によってトラウマが生まれ、そのトラウマを元に自縛のエネルギーが生まれていくってことがよくあります。親が子どもに与えてる影響は目に見える部分も大きいですが、目に見…
こんにちはleafangelです。 今日はpinterestの画像を見ながら、私自身の自分軸を再確認するために大天使ラファエルと一緒にワークをやってみました。 pinterestのこちらの画像を利用させて頂いて、 今日は自分軸について見直していきたいと思います …
この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 意識的であれ半ば無意識であれ、物の怪のチカラを継続的に借りている人のことを私は『物の怪使い』と呼んできました。 それは単に物の怪に付かれた人ではなく、物の怪の波動に共鳴し…
目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。じゃあ、『正…
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世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 『特別』に憧れ、『特別』に囚われているといったほうがいいかも知れませんが… ここで言う『特別』とは例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう優越感に溢れた状態のことです。 そういう状態になりたいと渇望し、「既にそうなったに違いない!」と思い込みたい方々が大勢いらっしゃるわけです。 優越感を渇望する人は当然劣等感に苛まれている人です。 強いコンプレックスこそが『スペシャルな自分』を夢見させるのです。波動のレベルの高いモノ…
私の造語に仮定盛りってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にしてその上に「ならばこうなるはずだ!」という仮定の話を盛り付けるのです。 で、その仮説は盛り付けた時点で「こうに違いない!」という『確信』に変わります。 そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… この仮定盛りにおいて一番問題なのは、盛りつけること自体より自分が盛ってることに気付かなくなることです。 「盛ってなんかいない! ただ、ありのままに真実を述べているだけだ!」っていう風にバイアスがかかるので…
自信についてこれまでこのブログではおおよそ以下のように説明してきました↓ ① 世間一般で言われている自信という言葉の意味は、「物事を知悉し習熟することによって得られる心の安定のこと」である。よって、自信の有無には知識と訓練が必須とされる。② このブログでいうところの自信は知識と経験値の集積には基づかない。生まれてきた時のその人の魂の状態によって自信の有無は決定している。それで、本当の自信というのを①のようなモノと思ってる人が世の中には圧倒的に多いです。ていうか世間的には自信ってのはすべて①みたいなモノと考えられてますからねぇ、そう思うのも致し方ないでしょう。でも、そう思ってる時点で②の意味での…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2015年3月の記事 最近とあるブログのお写真を拝見いたしました。 それはある寺院の仏像を撮影されたものなのですが、奇妙な赤っぽい色の揺らめき?みたいなモノが写真いっぱ…
「自分たちだけが本当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」とかいう選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。そして、そういう人は往々にして「本当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒーロー的な陶酔感を感じているのです。 例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくる人がいたと仮定します。大抵の人はまず「これって本当のことだろうか?」と半信半疑になると思います。少なくとも、いきなり「いやぁ、よく知らせてくれました! 目から鱗です!」とはならないんじゃないでしょうか… でも、所謂一つの『教えてくれる人』はその半信半疑な人たちを見…
骨身に染みるということが、『分かる』ということの本質です。だから、『分かる』ということは必然として感覚的なのです。 もっと砕いていえばそこに体感が有るかどうかが大切ってことです。勉強でも分かった時はハッとして「あっ、そうか! なるほど!」ってなるものです。それが分かることの印なのです。だから、「いつでもどこでも誰にでも分かる!」なんてことは端から無いのです。何より分かるってことは『良いこと尽くめ』などではありません。一筋の光に気付けばその周りの闇の深さを思い知らされるってことも少なからずあります。何でも「話せば分かる!」と思ってる人は『その闇』の深さを舐めています。 「知識さえ蓄えれば必ず分か…
にほんブログ村アクセスありがとうございます 二時間は、あっという間でしたが やっぱり来ていただいてよかったと思いました。 優しく丁寧なメールの印象そのままで、 お話しやすく楽しかったです。 ありの
にほんブログ村アクセスありがとうございます 14th アニバーサリー・キャンペーン のご案内 「a homely house 癒しの風水インテリア」は 東京ディズニーランド39周年の4月15日、
にほんブログ村アクセスありがとうございます 晴れて5月に開運ライフコンサルタントとしてデビューされる 和代倫佳(かずしろ みちか)さんをご紹介します。 倫佳さんは、毎年のコンサル&フォローアップ
「この世の可成りの部分はやり方次第でテクニカルに操れるんじゃないか」と信じている人が世の中には結構いらっしゃるような気がしています。そういう人々の心の奥底には「人間なんて案外簡単に操作出来るものだ!」っていう想いが横たわっているのでしょう。じゃあなけりゃ、そんな考え方になりませんからねぇ。その手のメンタリティを持つ人をごく個人的に『操れる系の人』と呼んでいます。で、『操れる系』の思考をされる方は「心の全てを今現在の自分の顕在意識でコントロール出来るはずだ」と無邪気に信じてるような気がします。だからこそ今現在の顕在意識で過去から今に至る潜在意識の深奥まで操れるなんてことを本気で考えてしまうのでし…
所謂一つの引き寄せの法則って呼ばれるものがあります。 その法則によると何でも「方法さえ間違わなければどんなことでも無制限に引き寄せられる!」ってことらしいです。 その根拠となるのは私なら私が考えたことが世界そのものを創っているって理屈みたいです。だから、何でも私の考えた通りになるのだと…でもね、古今東西どんな人間でもたった一人でこの世に存在したわけではないでしょう。「他者との関わり合いによって自分の世界も成り立っている」というのが現実だと思います。 何より人間の世界では争いが絶えたことがありません。個人は個人で、国家は国家で遥か昔から現在に至るまでず〜っと争い続けてきたのです。それが人間の世界…
目の前の『世界』に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。 『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですからね。多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。我々のいるのはそういう『世界』だってことです。そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見に溢れた世界だ」ってことです。 発見がそこら中に転がってるってのを逆にいえば知らないことだらけだってことです。もっと簡単に言えば生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れているということです。 ただ、この世とはある意味マヤカシだ…
人間はすぐに自然を支配したがりますが、人間が自然を支配下に置くって考え方自体傲岸不遜であろうと感じます。 不自然で、無理があるのです。 その無理もたまたまではなく根本的に無理だって話です。 何故なら、人間は自然というモノのごく一部だからです。 自然の中に人間がいて、動物がいて、植物がいるのです。 自然にとっては人間が『特別』だったことはないし、これからも『特別』であることはないでしょう。 私の場合「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観を抱いたことがありません。 逆に「人間ってなんて出来損ないの生き物なんだろう」という想いがずっと離れないのです。 それは大層な思索探究の末に辿り着いた結…
この世というのは物理的な肉体が存在する世界です。 別の言い方をすれば、生きているというのは「肉体を持っている」ということです。 物理的に肉体があるということはこの世にある限りその肉体を維持する必要に常に迫られているということでもあります。生命を維持するために本能があり、その本能を継続するために欲望が与えられているのです。 なので、欲望という存在は善でもなければ悪でもありません。それはこの世に生存するために与えられた『必要な条件』であり、元から倫理的な事柄ではないのです。 欲望は常に『プラス方向』へ向かうものです。 「もっと美味いものをたくさん食べたい!」 「もっと金持ちになりたい!」 「もっと…
暑くなったなぁ。と思ったら、寒いし(笑)。 まあ、人生と同じね? 生き方って、どう生きるかって。 人にどう見せるか??なの?? なんか、そんな事例をいくつも…
この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 不確かな世界とは常に不安定が支配する世界だってことです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 不安定は不安を生み、不確実は恐怖を生みます。 人はその不安と恐怖からどうにかして恒常的に逃れたいと思うものです。 そのために人は絶対に確実で安定したモノを求めたがるのです。 その絶対に確実で安定したモノとは、先入観をベースにした固定観念でガチガチに塗り固められたココロの世界です。 人間は誰しも見たいように世界を見ています。 それは「全ての…
大天使達にはそれぞれの役割があることはよく知られています。大天使ミカエルは、大きな剣を振るう大天使として知られていますし、大天使ラファエルは癒しの大天使としての役割をお持ちです。その役割について大天使ラファエルと話している時、私達人間のそれぞれの役割についても話して下さいました。自分の役割ってなんだろう?と思うことはありませんか?仕事や好きなこと、やりたくないけどやらないといけないこと…色々ありますけど、「自分は何も出来ていないのではないかしら…何か
このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。ここではそれをスピリチュアル…
「所謂『守護霊』といわれるような存在が本当にいるのか?」といえば「まぁ、いるんだろうな」とは思っています。 基本生まれた時から亡くなるまで同じ一人のヒトが守護しているみたいです。 その多くは血縁のご先祖でしょうが、それも絶対ではありません。 ただ、守っている人との間に何らかの強い縁があるのは確かでしょう。 ただ、守るといってもべったりと密着しているわけではありません。 ましてや子離れしない過干渉の親のように見えないチカラみたいなのを使って何処かに呼んだり、何かをさせたりする者ではないのです。経験上人間のやることにあれやこれやと細かく指図してくるのは9分9厘物の怪など人外のモノの仕業だろうと考え…
人間というのは本質的に無知な生き物です。人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。 慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。心の視野の狭さとは人間に本来備わった平衡感覚によって感じられるはずの感覚が十分感じられな…
私の場合「人間って地球で一番偉いんだぜぇ!!」的な世界観を抱いたことがありません。 逆に「人間ってなんて出来損ないの生き物なんだろう」という想いがずっと離れないのです。 それは大層な思索探究の末に辿り着いた結論などではなく子供の頃からずっと心の奥にあるものなんですよね。 話の前提はそこんところから始まっていることを申し上げておきます。 例えば菜食主義の人ってのは人間>哺乳類>魚類>植物という風な構図がピシッと頭の中に入ってるんだろうと思うのです。 人間を頂点とした生物のピラミッドを描き、人間に近いものほど霊的に偉いんだという生物観をお持ちなのでしょう。 そういった生物観はスピリチュアルな人にも…
人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎな…
「自分たちだけが本当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」とかいう選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。そして、そういう人は往々にして「本当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒーロー的な陶酔感を感じているのです。 例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくる人がいたと仮定します。大抵の人はまず「これって本当のことだろうか?」と半信半疑になると思います。少なくとも、いきなり「いやぁ、よく知らせてくれました! 目から鱗です!」とはならないんじゃないでしょうか… でも、所謂一つの『教えてくれる人』はその半信半疑な人たちを見…
ジブンガーZというのは個人的な造語です。 簡単に言えば、自我の肥大化したコダワリの強い人のことです。『ジブンガーZ』の特徴の一つは自分中心の世界観が強烈だってことです。まあ、大抵は世界観っていうほど大層なものではなく、自分の好悪や欲望が剥き出しになってる状態のことですが…簡単にいえば「自己チュー」ってヤツです。それでもまだ「自分は自己チューだ」って自覚があればいい方で、自覚もない場合が多いんじゃないでしょうか?『自分』というものを固く握りしめ過ぎて返って自分自身が見えなくなってしまうからです。見えてるのはあくまで『自分』から見た半径3メートルくらいのマイワールドです。ここでいうマイワールドって…
主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。 魔境に入った人というのは十中八九浮かれています。 ここでいう「浮かれている」というのは高揚感に支配された状態のことです。「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→高揚感に支配される」という道筋を辿る人って少なくない気がします。高揚感に支配されると浮き足立…
人の心の動きというのは想像以上にその人のその時の顕在意識以外のものに操られている部分が多いものです。ここでいう顕在意識というのはその時その人が認識出来て自由になる心の部分のことです。 当然操られていればそこのところは自由にはなりません。その自由にならない部分は今のココロの全体の少なくとも半分くらいにはなるでしょう。なので、感情を思いのままに100%コントロールすることは当然不可能と言わざるを得ないのです。もっと一般的な言葉でいえば潜在意識を自由自在に顕在意識でコントロール出来る人間は一人もいないということなのです。 心に問題を抱えておられる人ほど「アタマ(精神力とか理性とか)でココロ(感情や感…
所謂『予言』ってヤツは『当人にだけ都合のいい一発逆転』を求める人の最後の拠り所なんじゃないかと感じています。 少なくともそういう願望にとって都合の良いモノが少なくないのは確かです。多くの予言には「この世界そのものが一旦ガラガラポンされて、それまであった都合の悪いモノが全て粉々になってから新たな出発をする」というような内容が含まれています。ちゃぶ台返しと申しますか、兎に角古いモノは全部ぶっ壊されるわけです。一言でいえば所謂『予言』というのは『破壊衝動』と『パラダイス願望』の歪な組み合わせによって成り立っていますその背後には「オレが本気出したらこんなモンじゃねぇ! オレが評価されない世の中なんて滅…
にほんブログ村アクセスありがとうございます フライングスターの移行にともない、チャートの見直しをしましょう。 風水とは、あなたが時と場所を自ら選んだ人生で意味のある環境です。 だからどんな住まい
これまで『クリアー整体ヒーリングで出来ること』シリーズとして書いてきた記事の一覧を作りました。記事は基本的にはクリアー整体ヒーリングを実践する人向けに述べられたものですが、クリアー整体ヒーリング自体に興味を持たれた方がヒーリングの内容を知るためにも活用していただければ幸いです。 シリーズ自体は一続きに全部書かれたものではなく、分散しております。また記事の数も増えてきましたので、この記事では以下のタイトルの部分をクリックすれば直ぐに当該記事を読めるようにいたしましたm(_ _)mご興味のある記事を選択してご活用いただければ幸いと存じますm(_ _)m クリアー整体ヒーリングで出来ること (バリア…
APD/LiD(聴覚情報処理障害/聞き取り困難)の記事
どのように生きるのか 一緒に生きながら 考えていきましょう^-^
昨日は、心療内科へ行きました。 以前受診していた病院は、一ヶ月以上先にしか予約がとれなかった。 待てないので、検索して近くで見つけられたので、電話してから行って来ました。 一番驚いたことは、全く私の顔をみないことです。 こう医者がいるんだ。 ただ机の上の紙を見ながら、話すばかりです。 薬をもらいたいので、落胆しながらもやり過ごしました。 私への診療時間が、結構長かったのですが、会計の時わかりました。 診療30分と記載されてありました。 しっかり診療報酬として規定があるのかもしれません。 薬は3種類で、20日分もらいました。 少しでも、効果があればいいのだけど……
畑には3本のイチジクがあります。 昨年は豊作で、食べ切れないほど実りました。 私が元気なら、今年もイチジクの世話をしたかったのですが、膝が痛くなってしまい、もう無理です。 このままにしておくと、大株になるので枝を切り詰めました。 1本の半分もできなくて、全部が終えることができるだろうか😔 膝が痛くなってからは、気持ちが落ち込んで、食欲もなくなりました。 心療内科を受診したくて、知っているクリニックに予約しました。 予約日は、4月27日になりました。 一ヶ月以上も先です。 長すぎます😔 このクリニックは、以前お世話になっていたので、知った病院がよくて、ここにしました。 待てるだろうか…… 他のクリニックも探してみようと思います。
心の悩みを紐解いて行くちょっとした一言を書いています。 悩みの根っこを自分で知る事で、心がリセット出来る様になります。 LINE公式カウンセラー 心屋認定講師
心身ともにリフレッシュでき、疲れをリセットすることができるリトリート、ヒュッゲ。 リフレッシュするために行っているコト、場所などシェアできると嬉しいです^^
目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
生まれながらの性格を元に作られた性格統計学。自分の本来の性格を知って健やかに暮らしたい♪を学びながら実践!!
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