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伝統的日本仏教を見直そう

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伝統的日本仏教を見直そう
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伝統的日本仏教を見直そう
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伝統的日本仏教について、肯定的な内容であれば何でもOKでございます。日本で江戸時代以前に存在しなかった宗派・新宗教についての内容や、日本仏教について批判的な記事は、投稿をご遠慮くださいませ。
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1,729件
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55人

伝統的日本仏教を見直そうの記事

2020年10月 (1件〜50件)

  • #オジ
  • #PTSD
  • 2020/10/31 07:20
    南瓜に関する雑文(令和2年度ハロウィン)

    何故、ハロウィンに南瓜(カボチャ)なのかな?と思うと、それは、いわゆる「ジャック・オー・ランタン」に関連がある。ハロウィンの時のお化けとして位置付けられているが、実際には、死んでもこの世界から離れることが出来なかった悪人の魂が、「カブ」に宿ったものという設定だったらしい。そのカブがアメリカでは一般的ではなかったので、オレンジ色のカボチャで代用したというのが、いわゆる「ハロウィンのカボチャ」になる。ところで、拙僧的に気になったのは、確かに「ハロウィンのカボチャ」はオレンジ色であるが、我々が普通に食べるカボチャの表面は、濃い緑色である。この違いはどの辺に由来するのか?それで、カボチャについて調べてみると、我々が普段食べているカボチャは、セイヨウカボチャ(栗カボチャ)或いはニホンカボチャというものだそうだが、両方とも...南瓜に関する雑文(令和2年度ハロウィン)

  • 2020/10/30 10:04
    戒定慧(其の三)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究20)

    江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今は「戒定慧」という一章を学んでいる。早速、本文を見ておきたい。蓋し物有れば戒有り。機に随って数を成す。故に其の幾許戒の以て数を定べき無し。其の数の比を言う時は、則ち之を刹界の微塵に諭し、得て尽すべからず。其の尽すべからざるの数、之を一塵に具したり。彼の微塵の如き、衆生、自知せず。法王、之を破し其の具有を見せしむ。是れ一の心地なりと雖も、解惑に軽重有り。種の熟脱に遅速を致す。況んや又た心地の功徳無窮なる。事の多少と共に律儀の種類、何ぞ但だ今、議する所の如くのみならん哉。猶お四時・五運・節侯、期の日条分すれども其の情は唯二儀、二儀は本、一年の始終、平分する者の如し。是の故に其の立つる所の数に随って、其の余も互に収め尽しぬ。希...戒定慧(其の三)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究20)

  • 2020/10/29 09:15
    雑 第二十五 其18(富永仲基『出定後語』を学ぶ45)

    ここ1年以上にわたって、最後の一章「雑」を採り上げている。本章は「雑」の字の通りで、他に一章を立てるほどが無い程度の内容でもって、様々な事柄を富永仲基が論じたものである。本当に種々雑多な内容だが、見ていると20前後の節に分けられそうなので、一つ一つ見ていきたいと思う。道生法師、法顕所翻の泥洹経に、「一闡提を除いて皆な仏性有り」と云ふを見て云く、「闡提は含生の類、何ぞ独り仏性無きを得ん」と。後に、大経の至るに及んで、聖行品に云く、「一闡提の人、復た善を断つと雖も、猶お仏性有り」と。是に於いてか、諸師、皆な為に婍服す。余、謂へらく、一闡提、本と仏性無き者、故に一闡提と為せり。然るに極悪の者、亦た豈に廻心すべからざらんや。廻心、己に由る、人に由るに非ざるなり。仏性の種子、実に此に在り、何ぞ仏性無しと謂はん。是れ言の類...雑第二十五其18(富永仲基『出定後語』を学ぶ45)

  • 2020/10/28 08:01
    10月5日 達磨忌(令和2年度版)

    今日は震旦初祖円覚大師菩提達磨大和尚の忌日である。何故この日が達磨忌に当たるかは、以下の一節をご覧いただきたい。遂にこれを復救せざるに、端居して逝く。即ち後魏の孝明帝、太和十九年丙辰十月五日なり。『景徳伝灯録』巻3「菩提達磨尊者章」この太和十九年とは、西暦495年のことである。それで、日本の曹洞宗で最初に行われた達磨忌であるが、清規上は以下の記述が知られている。十月五日達磨忌、公界、力に随って弁供す。伝供し焼香礼拝す。主人跪炉し、維那宣疏して云く・・・『瑩山清規』「年中行事」以上の通り、瑩山禅師の頃には清規に載っているので、おそらくは行われていたと思うのだが、瑩山禅師御自身には上堂語などの記録に残らず、ほぼ同時代の永平寺5世・義雲禅師の語録にも、「断臂上堂」はあるのに、達磨忌は無い。それで、見た限り古いのは、總...10月5日達磨忌(令和2年度版)

  • 2020/10/27 09:30
    第十条・聴着木蘭条(『僧尼令』を学ぶ・10)

    連載は10回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、釈雲照補注『僧尼令』も参考にすることとしたい。凡そ僧尼、木蘭・青碧・皂・黄、及び壊色等の衣を着ることを聴す。余の色、及び綾・羅・錦・綺は、並に服用することを得ざれ。違えば各十日苦使。輙く俗衣着けたらば、百日苦使。『日本思想大系3』218~219頁を参照して、訓読は拙僧要するに、御袈裟の色に関する規定である。既に、拙ブログをご覧の皆さまは、「袈裟」という言葉が、「壊色(混濁した色)」を意味する「カーシャーヤ(kāṣāya)」を元にしたものであるとは理解されていると思う。よって、本条では僧尼に対して、定められた御...第十条・聴着木蘭条(『僧尼令』を学ぶ・10)

  • 2020/10/26 12:28
    御袈裟に関するシステム論的考察

    以前、一度【御袈裟に関するちょっとした考察】という記事を書いて、仏教に於ける袈裟、就中我ら曹洞宗に関する袈裟のあり方を考えてみた。今回の記事は、その続編になる。宗我見かもしれないという危惧を抱きつつ申し上げるが、正直、仏教徒の衣服である「袈裟」について、あそこまで思想的に突き詰めたのは、永平寺御開山で曹洞宗の高祖である道元禅師だけだったのではないかと思っている。そして、道元禅師のおかげで、その後の宗門の祖師方も、やはり御袈裟について、独自の思想的発展を見せた。これは、規則を厳密に守られねばならない律宗以外では珍しいと(独断的に)思っている。道元禅師の『正法眼蔵』には、御袈裟の重要性について書かれた「伝衣」「袈裟功徳」という両巻がある。その両巻は当然に参照しつつも、ここではむしろ「衣服」「制服」という機能性から考...御袈裟に関するシステム論的考察

  • 2020/10/25 11:12
    『曹洞宗檀信徒必携』を一読してみた

    曹洞宗には、檀信徒の皆様の素朴な疑問にお答えするための『曹洞宗檀信徒必携(以下、『必携』と略記)』という書籍がある。平成19年に改訂されたものが拙僧の手元にあるが、一読してみると、良い意味での疑問が沢山出てきたので、なかなか面白い。そこで、読んで出てきた思いを、自問自答の形で記事にしてみようと思う。①「仏教とは何か」項目同書籍の前半に、「仏教とは何か」という項目が挙げられているが、これが何故か、極めて中立的に書かれていたりする。まず、実際の釈迦牟尼仏について伝記が書かれている。実際のところであれば、禅宗なら「拈華微笑話」とか、或いは諸大乗経典の影響を受けた記述があっても良さそうなものなのに、そういう記述が無く、それどころか「原始仏典にくわしく記されています」(22頁)と書かれるなど、正確な仏陀像の理解を促してい...『曹洞宗檀信徒必携』を一読してみた

  • 2020/10/24 09:32
    絡子説法

    何年も前のこと、夏のお盆で関西の方で棚経していた時、某私鉄の某駅にて電車待ちをしていたところ、お孫さんを連れたとおぼしき男性と、少年から質問を頂戴した。内容は、要するに拙僧が身に着けている「コレ」は一体何か?ということであった。・絡子の画像―グーグル検索「コレ」は、知っている人は知っているでしょうが、我々の中では「絡子(らくす)」或いは「掛絡(から)」などと呼ばれているものである。一般的には五条袈裟を小さくして簡略化した物とされ、諸方への行脚や作務などをする際に用いられる。まぁ、その場でそのお二人には、「「袈裟」といって、僧侶であれば誰しも身に着ける物であり、仏様の智慧をいただくものですよ」といった極めて抽象的な答えをしておいた。で、今回記事にしてみようというわけだが、そもそも「五条袈裟」については、道元禅師が...絡子説法

  • 2020/10/23 08:47
    世間の善悪と仏道の善悪

    以前、【世間の罪人と仏教徒の罪人】という記事を書いたが、その続編に位置する記事である。前回は、世間一般に於ける「罪人」と、仏教に於ける「犯戒」の差異について考えてみた。若干テクニカルな議論だったかと、反省もあるが必要な考察だったといえよう。それでは、もうちょっと分かりやすく、世間と仏道の善悪について、その違いを考えてみたい。諸悪は、此界の悪と他界の悪と同・不同あり、先時と後時と同・不同あり、天上の悪と人間の悪と同・不同なり。いはんや仏道と世間と、道悪・道善・道無記、はるかに殊異あり。善悪は時なり、時は善悪にあらず。善悪は法なり、法は善悪にあらず。法等・悪等なり、法等・善等なり。『正法眼蔵』「諸悪莫作」巻道元禅師は端的に、「いはんや仏道と世間と、道悪・道善・道無記、はるかに殊異あり」と仰っておられる。これは、仏道...世間の善悪と仏道の善悪

  • 2020/10/22 15:00
    曹洞宗に於ける「放生会」に見える「授三帰」について

    供養のために、捕らえた生き物を池や野に放す法会を「放生会」という。曹洞宗では「梵網経、金光明経に基く」(『行持軌範』「放生会法」項)とあって、特に『金光明経』巻4「流水長者子品第十六」における宝勝如来と十二因縁によって鳥や魚が天上界に生まれ変わったという説が典拠となっている。曹洞宗に於ける「放生会」は、以下の経緯で成立した。洞下に古来より法式なし、余壮年の比、教家の碩徳に伝授する作法あり、別行に印版して補す。面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻5「別行法式十八条・放生式」項以上のように、江戸時代の学僧・面山禅師がご自身伝授された作法を刊行したというが、拙僧は未見である。なお、面山禅師が遷化される直前となる明和6年9月11日に「放生会を行ず、魚鳥の為に十二因縁を演説す、真俗の聞に預かる者若干」(『面山広録』巻26...曹洞宗に於ける「放生会」に見える「授三帰」について

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  • 2020/10/21 10:57
    昨日は峨山韶碩禅師忌だった(令和2年度版)

    実は、昨日、途中まで準備していたのだが、朝から色々とあったので、結局以前に書いておいた記事を挙げただけであった。そこで、1日遅れではあるが、以下のような記事を書いておきたい。洞谷第四祖大雄菴開基總持二世峩山和尚伝峩山和尚、諱は紹碩。能州瓜生田邑の人、岡部氏六弥太の後胤なり。母、藤原氏、一日文殊大士に聖児を生むことを祈る。夜に、利剣を呑むを夢みる、便ち懐妊す。出誕後、其の英敏たること群童に類せず、其の貌、雄偉なり。十六歳の時、台山に薙染し、深く教乗を究む。後に瑩山和尚を加州大乗に謁し、便ち衣を更えて参侍し、歳を歴る。師、一日、打坐す。瑾公、師の耳畔に於いて弾指すること一下す。師、忽然として大悟す。一日、瑾公問うて曰く、石の蛇を胎する時、如何。師云く、将謂すらくは石の蛇を胎す。今日、見来す蛇の石を胎するを〈洞谷の旧...昨日は峨山韶碩禅師忌だった(令和2年度版)

  • 2020/10/20 09:40
    単草履と拙僧

    単草履という履き物がある。我々曹洞宗では一部の僧堂(修行道場)で採用している履き物だ。で、ネット上で画像を検索したのだが中々見付からない。よって、画像は拙僧のをアップする(もう10年以上履いているので、古く、見た目がアレなのはご勘弁願いたい)として、この草履に関する拙僧の感想を申し上げたい。まぁ、もう履き始めて25年以上にはなってしまうのだが、とても有り難く思っているのである。理由として、拙僧は、いわゆるスリッパが苦手だ。何故ならば、拙僧の足は、「甲高」だからである。足の甲が高いため、スリッパを履いていても、非常に脱げやすい。拙僧は、スリッパが苦手なことを、結構子供の頃から自覚していたのだが、こんな変なことを誰にも話すことが出来ずに、ただ自分でおかしいな?もしかして、どこかおかしいのかな?とか思っていたのだが、...単草履と拙僧

  • 2020/10/19 06:26
    俗人が出家の格好をすることは罪か?

    ちょっと気になる一節を見付けたので、採り上げておきたい。当時、俗人の法衣を着し、出家の俗形を現ずること有る、其の義如何。更に得心せず、其の意尤も然るべからざる事歟。但、先づ俗人の法衣を着する、在家の婆羅門、酒に酔て僧の真似をしたりし功徳に依て、仏を見奉事を得て蓮華色女が戯れに、尼の袈裟を掛たりし縁に依て仏法を聞事得と云へば、若逆縁とや成侍らんなれ共、猶仏法を軽くし法衣を垢す罪深かるべし。何に況や出家の俗形をや。孝経に賤きが貴服を服する、之を僭上と謂、不忠と為す。貴が賤き服を服する、之を偪下と謂、失位と為すと云へり。俗の上に猶、其の位に非ざる服を誡む、況や一度仏弟子に成は、仮にも俗衣を着事内外の道理に背く上は冥の照覧尤も畏るべし謹むべし。其上近比清水寺等、所々の制札に俗人之僧形・出家之俗形と侍れば、世以て誡る事如...俗人が出家の格好をすることは罪か?

  • 2020/10/18 10:03
    「神無月」一考

    旧暦10月の別名を「神無月」という。その由来について、以下のような説明が知られている。◎十月和名を神無月と云は、もともとの神、出雲の国に行て、こと国神なきゆへにかみな月といふと、奥義抄に見へたり。「江府年行事」、三田村鳶魚編『江戸年中行事』中公文庫・昭和56年、53頁以上である。これは、現在でも同様の理由で説明されることが多いのではないだろうか。要するに、和名である「神無月」の由来を、各地の神が皆、出雲国(現在の島根県東部)に行ってしまい、各地の神がいなくなるから「かみな月」というのだと、説明されている。「江府年行事」の作者は、その見解を『奥義抄』という文献から得たとしている。この『奥義抄(または、奥儀抄)』とは、平安時代後期の歌学書で、藤原清輔の著である。全3巻で、天治元年(1124)~天養元年(1144)の...「神無月」一考

  • 2020/10/17 14:44
    万仭道坦禅師『禅戒本義』「序」に見る苦言

    実世界の研究で、今年百回忌を迎える丘宗潭老師による『教授戒文』提唱を学んでいる。そこで、丘老師は意外と言って良いのかどうか分からないが、禅戒論を論じるに当たり、自身が改正された万仭道坦禅師『仏祖正伝禅戒鈔』よりも、同じ万仭禅師による『禅戒本義』を尊重していることが分かった。詳細は今後、論文で明らかにしていこうと思うのだが、その前に『禅戒本義』自体を学んでみたいと思い、今日はこんな記事を書いてみようと思う。禅戒本義序戒学に幼くして戒師と作り、禅学に少くして禅師と称するは、古今の仏祖の呵する所、其の罪免るべからず。如来の在世、二歳の沙弥有り、一歳の弟子を将ち仏処に往く。仏、呵責して言わく、汝の身未だ乳を離れず。応に人の教授を受るべし、云何が人に教えんや、云云。吁、夫れ、戒学多般なり、今人何ぞ罄くさん、況んや亦禅戒は...万仭道坦禅師『禅戒本義』「序」に見る苦言

  • #自律神経
  • 2020/10/16 10:24
    「暫到」に関する一考察

    先日、【暫到―つらつら日暮らしWiki】という記事を書いた時に、改めて「暫到」という言葉について考えてみようと思った。そこで、まず、「暫到」の本来の意味であるが、江戸時代の臨済宗妙心寺派の学僧・無著道忠禅師が、以下のように指摘されている。忠曰く、暫時、某寺に到る。当に久しからざるして去るべし。故に暫到僧と曰う。『禅林象器箋』巻6「第六類称呼門」「暫到」項これが、一番明確な定義である。要するに、行脚をしている旅僧が、一時的に某寺に立ち寄り、宿泊などをすることを暫到(或いは暫到僧)というのである。そこで、今であれば、修行道場(僧堂)に安居するために掛搭を志願する僧侶のことを、暫到と呼称し、旦過寮などに置いている。臨済宗では旦過寮にすら上がれずに「庭詰」というが、おそらく曹洞宗では一般的にその呼称は用いない。そこで、...「暫到」に関する一考察

  • 2020/10/15 09:05
    10月15日 道元禅師が宇治興聖寺で集衆説法される

    この日は毎年この類いの記事を書いているのだが、10月15日という日付について、曹洞宗内では以下の一事が知られている。師、嘉禎二年丙申十月十五日に於いて、始めて当山に就いて、集衆説法す。『永平広録』巻1冒頭これは、嘉禎2年(1236)10月15日に、道元禅師が当山(=宇治興聖寺)に於いて、大衆を集めて説法されたことを示す。要するに、この時に開単されたということなのだろう。この様子について、道元禅師に因む最古級の古伝を見ていくと、幾つかのことが理解出来る。是の如く、諸師の聴許を蒙り、天童の印証を得て、一生の大事を弁じ、累祖の法訓を受て、大宋宝慶三年、日本安貞元年丁亥歳、帰朝し、初めに本師の遺跡建仁寺に落ち着き、且らく修練す。時に二十八歳なり。其後勝景の地を求め、隠栖を卜するに、遠国畿内有縁檀那の施す地を歴観すること...10月15日道元禅師が宇治興聖寺で集衆説法される

  • 2020/10/14 09:09
    或る文献に見える「剃髪日」について

    手元におそらくは中華民国時代の頃の印刷にも思える『毘尼日用切要』があるのだが、それを読んでいて、或る一節が気になった。剃髪〈文殊菩薩所集の剃髪日、初四、初六、初七、初八、初九、初十、十一、十四、十五、十六、十九、二十二、二十三、二十四、二十五、二十六、二十九なり。此の偈呪を黙念す〉。剃除鬚髪当願衆生遠離煩悩究竟寂滅唵、悉殿都、漫多囉、䟦陀耶、娑婆訶〈三遍〉。『毘尼日用切要』13丁表、訓読は拙僧で、この『毘尼日用切要』については、「宝華山弘戒比丘読体彙集」とあるが、清代の編集であるという。それで、拙僧が気になったのはもちろん、この「剃髪日」について、素直な感想からいうと、「多すぎないか?」ということである。例えば、曹洞宗であれば以下のような伝統がある。四日〈中略〉剃髪沐浴九日剃髪沐浴十四日〈中略〉剃髪沐浴如常廿四...或る文献に見える「剃髪日」について

  • 2020/10/13 09:50
    「師僧替え」の一考察

    どうも、色々な人とお話ししていると、曹洞宗内に於ける「師僧替え」について、一部の方には正しく理解されていない場合もあるのかな?と思うようになった。それは、「師僧替え」はしてはいけない、という単純な理解なのだが、それは少し間違っているように思う。実は、拙僧などは、受業師・法幢師・本師と三師全て違う方にお世話になっており、特に、受業師から本師へは、実質的に「師僧替え」をしているからである。現在の『曹洞宗宗制』「曹洞宗僧侶教師分限規定」には、「師僧替え」という制度が明記されている。・第36条⇒師僧替えの申請・第37条⇒師僧替えを拒否された場合の措置・第38条⇒師僧替えをすることができない者これらの条文を見ていくと、以下のように総括することが出来る。・第36条⇒旧師僧と新師僧との間で円滑に、師僧替え該当者を移籍させる場...「師僧替え」の一考察

  • 2020/10/12 10:21
    そもそも「戒名」という用語はいつから使われたのか?(12)

    ・・・なんか、これまでの論考が吹っ飛びそうな一節を見つけてしまった。この不定期連載もそろそろ終わりだろうか。拙僧の問題意識は、「戒名」という言葉が、一体いつ頃から使われ出したのか?という話をしていて、色々と調べた結果、日本の江戸時代くらいから浄土宗などで使われ始め、それが曹洞宗などにも広がったという見解であった。しかし、この度、色々と調べていたところ、以下の一節を見つけてしまった・・・右牒、開皇十一年十一月二十三日〈王、戒名の總持菩薩を稟く。疏を書するに、即ち法諱の弟子・總持和南と用ゆ〉。『国清百録』巻2「王受菩薩戒疏第二十六」、訓読は拙僧これは、日本で聖徳太子が、最初に遣隋使を派遣した際の隋の皇帝だった、煬帝についての記述である。煬帝がまだ、「晋王」という立場だった頃、彼は天台智顗を戒師として招き、菩薩戒を受...そもそも「戒名」という用語はいつから使われたのか?(12)

  • 2020/10/11 13:12
    通俗的「持戒威儀」の話

    とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。第十八持戒威儀=正義公徳を重んぜざるべからず戒は防非止悪の義と申して、約りこの身口意を清浄にする所のものです、その之を清浄にするとは身三(殺生偸盗邪婬)口四(妄語綺語悪口両舌)意三(貪欲瞋恚邪見)の十悪を離るゝことです、たゝ之を離るゝのみならす、進で十善を行ひ、又人をして之を行はしめ凡ての罪過を犯さぬ様に世話するのである、之を止悪行善度生の三聚戒とも申す、一切の悪を止むれば断徳の法身が顕はれ、一切の善を修習すれば智徳の報身が顕はれ、一切の人を済度すれば恩徳の応身が顕はれて来る、大にもせよ小にもせよ、この心地戒を保てば、分相応に心地の三徳が顕はれて来る、大学に明徳に明かにするにあり、民を新たにするにあり、至善に止まるにありとあるのも亦この意味です、戒は明かなる日月の如しと...通俗的「持戒威儀」の話

  • 2020/10/10 18:28
    10月10日 釣りの日(令和2年度版)

    今日10月10日は「釣りの日」らしい。理由は、10・10を「ト・ト」と読むと、「魚(トト)」になるため、釣りの日にしたという。なお、同じ理由で「魚の日」にもなるらしい。それで、禅籍に於いて「釣り」は一定の意義があるため、今日はその記事を書いておきたい。船子和尚、夾山に問うて云く、糸千尺を垂れ、意、深潭に在り、鉤を離るること三寸、子、何ぞ言わざるや。繊月雲を離れて龍府曙かなり、古弓水に浮かべて養家幽かなり、諦観す金鱗を釣り尽くす意、浪静かに風恬かにして道休んと欲す。『永平広録』巻9「玄和尚頌古」第28則2首目まず、上記一則については、いわゆる中国禅宗青原下の、船子徳誠禅師による夾山善会禅師への接化の場面である。拙ブログでは、【今日は釣りの日(令和元年度版)】でこの一則を採り上げたこともあるし、或いは日本語訳を含め...10月10日釣りの日(令和2年度版)

  • 2020/10/09 10:52
    臥雲童龍禅師の尸羅会法語(1)

    以前にアップした【戒量慧全禅師書写『室中法宝』写本について】の関係で、大本山永平寺60世・臥雲童龍禅師(1790~1870)に関する事跡について、中村泰心師・山内堯海師編『永平六十世臥雲童龍禅師遺稿(全)』(大正8年)を見ていたところ、8本の授戒会法語を確認出来た。ちょうど、江戸時代から明治時代へと日本が変わっていく状況で、授戒会で必要とされた思想も、どのように示されたのか、見ていきたい。福井心月寺授戒会啓建初日午時〈嘉永四辛亥年四月〉人間五濁の郷を転却して、尸羅を打開して梵場を修む、群生斉しく無私感に沐し、直に塵労を脱して宝牀に昇る、咦山河大地戒雨霑す、覚華開発して日鮮新たり。『臥雲禅師遺稿』15丁表、訓読は拙僧これは、福井市足羽にある心月寺の戒会で唱えられた啓建の法語である。時期は嘉永4年(1851)4月で...臥雲童龍禅師の尸羅会法語(1)

  • 2020/10/08 10:18
    仏教に於ける『律』の始めについて

    以前、【なんとなく五比丘の話】という記事を書いてはみたものの、それは何となく『四分律』に見えた一節を確認しただけで、個人的な見解を出ていない。それで、今日はまず、以下の一節を見ておきたい。通常伝説には、釈尊成道後五年目に不都合なことあつて、律をつくつたのを始めとして、以来御入滅迄の間に、今日に見る如き多数の律が出来るに至つたと云ふ。椎尾弁匡先生『授戒講話』弘道閣・昭和6年、190頁今回見ておきたいのは、この「釈尊成道後五年目に不都合なことあつて、律をつくつたのを始めとして」とある部分である。この釈尊成道後五年目に『律』を制定したというのは、どの辺を根拠にしているのだろうか?また、制定経緯としての不都合なこととは何だったのだろうか?その辺を見ておきたい。世尊、成道より五年、比丘僧悉く清浄なり。是れ自り已後、漸漸に...仏教に於ける『律』の始めについて

  • 2020/10/07 11:00
    中国禅語録に於ける「大闡提」の話

    以前にアップした【中国禅語録に於ける「五逆罪」の話】の続きの記事である。そもそも大闡題というのは、「一闡提」に由来する。これは、特に大乗『大般涅槃経』などで詳しく示されるところではあるし、或いは法相唯識などでも仏性論との関係で取り沙汰された。禅宗は、そういう経論を所依とした宗派を横目に見ながら、様々な概念を拈提することを繰り返した。今回見ていく「大闡題」を理解する前提に、「一闡提」については以下のような説示がある。純陀復た問う、「一闡提とは、其の義云何」。仏言く、「純陀よ、若し比丘及び比丘尼、優婆塞、優婆夷有りて、麁悪の言を発し、正法を誹謗し、是の重業を造り、永く改悔せず心に慚愧無し。是の如き等の人、名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し、五逆罪を作せば、自ら定めて是の如き重事を犯したるを知り、而も心...中国禅語録に於ける「大闡提」の話

  • 2020/10/06 09:22
    『衆寮箴規』に見える「四念住」の話

    道元禅師が晩年、永平寺にて編まれた『衆寮箴規』には、以下の一文が知られている。四念住、是れ住処なり、三帰依、是れ依止なり。少水の魚の如くならば、是に何の楽しみか有らん乎。まず、道元禅師がこのように「四念住」を活用しておられることに注目しておきたい。この「四念住」とは、一般的には「三十七品菩提分法」の一部であると知られていると思う。道元禅師の『正法眼蔵』には、同名の一巻が存在しているので、その中から「四念住」の提唱の冒頭部分を取り出しておきたい。四念住〈四念処とも称す〉。一者、観身不浄。二者、観受是苦。三者、観心無常。四者、観法無我。以上である。ここから、上記の通りの4つを能く念じ、止まることをもって、「念住」とはいうのである。更に、この4つは何を意味しているかといえば、「不浄・苦・無常・無我」であり、いわゆる「...『衆寮箴規』に見える「四念住」の話

  • 2020/10/04 09:59
    三帰依と本尊について

    まずは、以下の一節をご覧いただきたい。仏在世の時に迦葉尊者等の仏弟子が致されたが如く、その法灯を相続致された列祖がなされたが如く、至心に三宝に帰依して、仏門に入り、釈迦牟尼世尊を慈父、大教主、大導師と仰ぎ、本尊と仰ぎ以つて、釈尊の如くに発心し、釈尊の如くに修行し、釈尊の如くに菩提を得、釈尊の如くに涅槃を得て、自利利他の二行を円満する、これが宗門の規矩であり、宗門の宗格である。丘宗潭老師『禅の信仰』鴻盟社・昭和2年、49頁上記内容について、明治時代以降の教義や本尊に関する論争があったことを思うと、非常に大事なことを仰っていることが分かる。そもそも、『修証義』が編集されていく中で、当初の『洞上在家修証義』を編集した大内青巒居士は「三宝帰依」を重視した。一方でそれを再編して現行の『修証義』にされた滝谷琢宗禅師は、釈尊...三帰依と本尊について

  • 2020/10/03 12:36
    中国禅語録に於ける「五逆罪」の話

    仏教に於ける罪の概念を探ることで、例えば「持戒」観念の内容を見てみたいと思っているのだが、今回はタイトルの通り、中国の禅語録に於ける「五逆罪」の扱いについて見てみたいと思っている。まずは、以下の一節などはどうか?師、雲居に問う、「大闡提人、五逆罪を作る。孝養、何れに在りや」。雲居云く、「始めて孝養を成す」。『洞山録』実は、これとほぼ同じ問答については、【雲居道膺禅師に於ける罪過について】で採り上げたことがあった。上記、『洞山録』では端的に「五逆罪」としているが、『景徳伝灯録』では「父を殺し母を害し、仏身より血を出し、和合僧を破す」と述べており、実は、「殺阿羅漢」が入っていないのだが、五逆罪について論じようとしていることは同じである。それで、拙僧的に不思議なのは、何故、洞山良价禅師が五逆罪と孝養とを関連して論じた...中国禅語録に於ける「五逆罪」の話

  • 2020/10/02 08:51
    戒師や布教師になる条件とは?

    まずは、以下の一節をご覧いただきたい。其己れ半信半疑にして、或は戒師となり、或は布教師と成るならば、何に依てか他の疑団を破り、安心決定せしむることを得んや。余、深く之を憂ふること久し矣。西有穆山禅師『安心訣』2丁表大本山總持寺独住三世・西有穆山禅師によるご指摘であるが、要するに自分自身が半信半疑の状態のまま、戒師や布教師になったとしたら、どうして他の人の疑団を破り、安心を決定させられるのか?と疑義を呈しており、そして、西有禅師ご自身は、深くそれを憂いておられたという。実は、この一節の前には、学人が師家に参ずる様子についても批判がされており、身心脱落に徹していないことにより、半信半疑のままであるという問題の根源が示されている。それで、その通りであれば、身心脱落することが大事だ、という話になるかと思いきや、本書は別...戒師や布教師になる条件とは?

  • 2020/10/01 09:02
    10月1日 中秋(令和2年度版)

    今日10月1日は、旧暦の8月15日に当たり、いわゆる「中秋」である。ただし、満月は明日とのこと。とはいえ、今日も、おそらく綺麗だから、見比べてみると良いのかも知れない。ところで、曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師(1200~1253)には、語録『永平広録』が残っているが、その中には弟子達と一緒に、名月に因んで漢詩を詠まれたことなどが記録に残っている。よって、例年拙ブログでは、禅僧が詠んだ中秋の名月に因む漢詩を採り上げ学ぶことで、そこから宗教的境涯を得たいと思っている。そこで、今日、学んでいく一首は、以下のものである。中秋の感有り万里碧天雲没す時、二株嫩桂光輝を転ず。月宮には怕じず通身冷ことを、折んと要す東南の第一枝。『大智禅師偈頌』文政3年刊冠註本、45丁表これは、中世曹洞宗を代表する学僧の、祇陀大智禅師(...10月1日中秋(令和2年度版)

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