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伝統的日本仏教を見直そう

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伝統的日本仏教を見直そう
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伝統的日本仏教を見直そう
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伝統的日本仏教について、肯定的な内容であれば何でもOKでございます。日本で江戸時代以前に存在しなかった宗派・新宗教についての内容や、日本仏教について批判的な記事は、投稿をご遠慮くださいませ。
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1,723件
参加メンバー
55人

伝統的日本仏教を見直そうの記事

2022年02月 (1件〜50件)

  • #気管支喘息
  • #夫婦関係の悩み
  • 2022/02/28 10:53
    「悉多太子の妻子の数」についての議論(拝啓 平田篤胤先生13)

    前回の記事は、「悉多太子の妻子の数」と題して、いわゆる釈尊がまだ在家の太子だった頃の婚姻関係について、篤胤の見解を探ってみた。なお、篤胤がこれを採り上げた理由として、一部の仏教者が、釈尊が性行為をしていない、という風という話をしたいと指摘しているようである。そして、結果として、実際の釈尊には実子がいたことを示し、要は、性行為をしていないという点での宗教性(純粋性?)を主張することを批判した。更に、この辺は、富永仲基『出定後語』の影響もあると思うのだが、仏典について後代の改変が認められると主張したかったようである。具体的には、以下の一節からご覧いただきたい。一体諸の仏経を、みな釈迦の説た事を記したものじやと思つて、世人はおるけれども、尽く後の出家ども、釈迦に託して偽り作つたものにちがひなく、其わけは具にこの次の処...「悉多太子の妻子の数」についての議論(拝啓平田篤胤先生13)

  • 2022/02/27 13:54
    出家した日時に於ける五時について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・7)

    7回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。前回は、出家受戒が成立した日時の確定に関する決まりを採り上げたが、今回はその続きである。五時と言うは、既に方域儀異にして、月数離合あり、指事に非ず自りには、以て委しく知り難し。一には謂く冬時、四月有り、九月十六日従り正月十五日に至る。二には謂く春時、亦た四月有り、正月十六日従り五月十五日に至る。三には謂く雨時、但だ一月のみ有り、五月十六日従り六月十五日に至る。四には謂く終時、唯だ一日...出家した日時に於ける五時について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・7)

  • 2022/02/26 21:49
    第二十六条・布施条(『僧尼令』を学ぶ・26)

    連載は26回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に当方による解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も参照していきたい。凡そ斎会には、奴婢、牛馬及び兵器を以て、布施に充てることを得ざれ。其れ僧尼も輙く受けることを得ざれ。『令義解』14丁裏を参照しつつ当方で訓読さて、意味として、まず「斎会」への理解が必要であろう。基本的には、僧尼を招き、供養としての斎食を施す法会のことを指す。しかし、その食事に合わせて様々な供物も布施することがあったわけで、その際に、供物として不適切な物を挙げている。奴隷、牛馬、兵器は布施に...第二十六条・布施条(『僧尼令』を学ぶ・26)

  • 2022/02/25 08:52
    今日は天神・菅原道真公の御命日(令和4年版)

    今日2月25日は天神・菅原道真公(845~903)の忌日である。拙ブログでは、天神を崇敬していることもあり、毎年この日には、追悼と顕彰のための記事をアップすることにしている。それで、今年は手元にある『天神経絵入講釈』(錦森堂・慶応3年序版)に入っている『大威徳天神感応経』について見ていくか、それとも塙保己一『群書類従』巻19(左は国立国会図書館デジタルコレクションのアドレス、357コマ以降が該当)に入っているのを見付けた『菅神入宋授衣記』にしようか迷ったのだが、とりあえず後者にした。菅神入宋授衣記天満天神、径山伝授の僧伽黎を以て、西都霊岩神護山光明蔵神寺に安置するの流記。慧日山東福寺第一世の聖一国師〈師の歳三十四〉、大宋国に入りて、径山仏鑑禅師に見えて、親しく巾瓶に侍す。是れ則ち日本四条院の嘉禎元年乙未四月、宋...今日は天神・菅原道真公の御命日(令和4年版)

  • 2022/02/24 08:30
    旧暦の時代に於ける釈尊涅槃会と春彼岸の関係について

    現代的な感覚だと、釈尊涅槃会は2月15日、そして、春の彼岸会は春分の日(3月20日前後)を含めた前後7日間というイメージだと思う。しかし、旧暦の場合、春分の日は2月であり、更には彼岸会も2月・8月だったと知った時、もしかして、釈尊涅槃会と春の彼岸会お中日が同じ日付になったこともあったのではないか?とか思っていた。そうしたら、そのことを指摘する文章を見つけたので、学んでみたい。○丁酉仏涅槃会、彼岸会中日にあたれり、かゝる時節もいと稀なるか近き例を考ふるに慶長五年庚子〈自是二十年之後〉元和元年己未〈自是二十九年之後〉明暦三年丁酉共に二月十五日彼岸会の第四日也。此後六十一年にして今歳亦然り、百十余年の間、只四度也。天野信景『塩尻』巻63、國學院大學出版部・明治40年本、下巻214頁下段~215頁上段まず、慶長5年とは...旧暦の時代に於ける釈尊涅槃会と春彼岸の関係について

  • 2022/02/23 09:44
    今日は富士山の日(令和4年版)

    今日は、令和の時代には天皇誕生日ではあるが、2月23日は語呂合わせで「2(ふ)2(じ)3(さん)」となり、いわゆる「富士山」の日である。よって、今日は富士山のことを採り上げてみたい。上堂。参禅に妙訣無し、只だ教徹を打することを要す。疑情若し断ずる時、生死の路自から絶す。諸人の瞥・不瞥を問わば、富士山頭、六月に下雪す。『仏光国師語録』仏光国師とは、鎌倉時代に来日して、鎌倉円覚寺を開いた無学祖元禅師(1226~86)のことである。これは、その上堂(公式な説法)の一つなのだが、富士山についての言及があるので、採り上げてみた。内容は、参禅(禅問答)を行うのに、妙訣(良い教え)は無く、ただ教えを徹していくことが肝心である。心の疑いなどの分別的な働きが断たれれば、生死輪廻の道は自ずと絶していく。しかし、目の前にいる大衆諸君...今日は富士山の日(令和4年版)

  • 2022/02/22 15:06
    今日は猫の日(令和4年版)

    今日、2月22日は、「ニャンニャンニャン」と猫の鳴き声に因んで、「猫の日」であるが、更に、「2022年2月22日」と、「2」が6つ並ぶことから、「スーパー猫の日」ともされる。そこで、早速、猫に因んだ説話を見ていきたいと思う。奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる、と人の言ひけるに、山ならねども、これらにも、猫の経上りて、猫またに成りて、人とる事はあなるものを、と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、独り歩かん身は心すべきことにこそと思ひける比しも、或所にて夜更くるまで連歌して、ただ独り帰りけるに、小川の端にて音に聞きし猫またあやまたず足許へふと寄り来て、やがてかきつくままに、頚のほどを食はんとす、肝心も失せて防がんとするに力もなく、足も立たず小川へ転び入りて、...今日は猫の日(令和4年版)

  • 2022/02/20 10:33
    釈尊の前生譚に於ける戒行について

    戒律の条数を見るために、何となく「三百戒」という語句で検索したら、以下の一節が引っかかったので、検討してみたい。次に二万億の威音王に値う。最初仏の像法の中、常不軽菩薩と為り、三千威儀を受持す。第二仏の時、不退位を証す。後に大通智勝如来に値う、我れ王子と為りて、出家し三百戒行を具持す。後に二万の日月灯明に値い、定光仏を経て、名づけて儒童と曰う。威儀三千・戒行を具摂し、即ち我が記を授け、号して釈迦牟尼と為す。天台宗桑門安然『普通授菩薩戒広釈』巻中以上のように、釈尊が成仏するまでに、様々な仏陀に逢うという良縁を得ていたというのは、様々な大乗経典で説かれるところであるので、この見解自体は珍しくは思わないが、それを、戒律や威儀具足の観点から説いているところに興味を持った。ところで、上記引用文に「常不軽菩薩」が出ていること...釈尊の前生譚に於ける戒行について

  • 2022/02/18 09:00
    『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(6)

    ここ数回の記事の続きであるが、この回で一応終えておきたい。恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』では「第五講遺教経」とあって、比丘へ具足戒を授ける前に、『遺教経』を講義していたことが知られている。そこで、今日はその講義が終わって、講義という善行を「回向」するための「回向文」が出ていたので、確認しておきたい。抑そも講経する所生の惠業を捧げ、伝戒鑑真和上の威光を奉飾す。登壇受具の仏子、上品清浄の戒法を円満し、并びに、金輪聖王御願成弁し、国土泰平・万民快楽ならんことを。一天の雲晴れて堯日の光高く輝き、四海の浪穏やかに舜雨の恵み竭きること無し。乃至、鉄圍・大鉄圍、同じく三聚浄戒の法水を浴び、沙界・恒沙界、共に一実真如の覚山に登らんことを。恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』「第五講遺教経」回向文である。なお、先行する実範上人『東大寺戒壇...『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(6)

  • 2022/02/17 08:25
    『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(5)

    ここ数回の記事の続きであるが、この回で一応終えておきたい。恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』では「第五講遺教経」とあって、比丘へ具足戒を授ける前に、『遺教経』を講義していたことが知られている。そこで、今日は『遺教経』の解釈を検討してみたい。第三判釈本文とは、今、此の経中に建立の菩薩の修行する所の法、略して七分有り。一に経に曰く、釈迦牟尼等は、序分なり。二に経に曰く、汝等比丘於我等は、修集世間功徳分なり。三に経に曰く、汝等比丘当知等は、成就出世間大人功徳分なり。四に経に曰く、汝等比丘於諸等は、顕示畢竟甚深功徳分なり。五に経に曰く、汝等比丘若於等は、顕示入証決定分なり。六に経に曰く、於此衆中等は、分別未入上上証為断疑分なり。七に経に曰く、汝等比丘常当已下、離種種自性清浄無我分なり。恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』「第五講遺教...『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(5)

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  • 2022/02/16 08:20
    『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(4)

    恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』では「第五講遺教経」とあって、比丘へ具足戒を授ける前に、『遺教経』を講義していたことが知られている。そこで、今日は昨日に続いて『遺教経』の解釈を検討してみたい。第二釈題目とは、三種の覚を具えるを仏と名づく。岸に趣いて久しからずして、臨と為す。或本に云く、垂とは、義、臨と同じきなり。栖心を滅するが故に般涅槃と名づく。約を繁して略と云う。金言を称説し、最後の約言を遺と名づく。略して法要を訓じて教と云うなり。経とは常の如し。総じて云く、仏、般涅槃に臨んで略説するの遺教経なり。恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』「第五講遺教経」こちらは、「題目を釈す」とある通りで、『仏垂般涅槃略説教誡経』という『遺教経』の詳細なる名前について解釈した一節である。意外と、「仏垂」の「垂」字などは、以前から何度か申し上...『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(4)

  • 2022/02/15 09:39
    2月15日 釈尊涅槃会(令和4年版)

    本日、2月15日は釈尊涅槃会である。仏教を開いた釈迦牟尼仏が入滅(般涅槃)されたので、「涅槃会」などという。この日は、釈尊とその教えを追慕し、新たに学びを誓う日としたいものである。そこで、釈尊の入滅について、例えば、或る仏典では、以下のように表記している。是に於いてか、如来、即便ち偈を説く、諸行は無常なり、是れ生滅の法なり、生滅は滅し已りて、寂滅を楽と為す。爾の時、如来、此の偈を説き已りて、諸もろの比丘に告ぐるに、「汝等、当に知るべし、一切の諸行、皆な悉く無常なり。我、今、是れ金剛の体なりと雖も、亦復た無常にして遷る所を免れず。生死の中、極めて畏るるべきと為す。汝等、宜しく応に勤行精進して、速かに此の生死の火坑を離るることを求むべし。此れ則ち是れ我が最後の教なり。我、般涅槃す、其の時、已に至れり」。時に、諸もろ...2月15日釈尊涅槃会(令和4年版)

  • 2022/02/14 08:14
    「聖ヴァレンタインの日」について

    最近、キリスト教に於ける歳時記などを扱った書籍を手元に置くようにしたので、今日、2月14日についても調べてみた。思った内容ではなかった。確かに、キリスト教の人は、バレンタインデーについて、醒めた感じで見ているなぁ、とは思っていたのだが、理由があったらしい。ローマ・カトリック教会では、一九六九年にこの聖人を祝日リストから削除した。だが、この日に殉教した聖人ヴァレンタインにちなんで、恋人たちが互いの愛のあかしとして花やカード、ロマンティックな贈り物を交換しあう風習は、教会の外でますます盛んになってきている。八木谷涼子氏『キリスト教の歳時記』講談社学術文庫・2016年、96頁以上の通り、ローマ・カトリック教会では、既にこの日に聖ヴァレンタインの祝日にしていないという。なお、この「聖ヴァレンタイン」について、この日に殉...「聖ヴァレンタインの日」について

  • 2022/02/13 18:03
    『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(3)

    恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』では「第五講遺教経」とあって、比丘へ具足戒を授ける前に、『遺教経』を講義していたことが知られている。そこで、今日は『遺教経』の解釈を検討してみたい。仏、般涅槃に臨んで、略して遺教経を説く。将に此の経を釈するに、略して三門を開くべし。第一述大意とは、夫れ以れば、善逝医王の尸羅の風、三有に扇いで熱悩の塵を除く。遍知能仁の木叉の雨、法界に灑ぎ無上の芽を潤す。浩汗たる善権、豈に測ることを得んや。今、此の経は、此れ乃ち三世諸仏の真実の遺言、初心菩薩の入道の要門なり。聴聞の者、鵝珠を護り、修行の者、浮曩を存す。経の大意、蓋し此の如くなり。恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』「第五講遺教経」この部分から、『遺教経』についての解題が続く。なお、「将に此の経を釈するに、略して三門を開くべし」とある通りで、3つ...『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(3)

  • 2022/02/12 08:40
    『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(2)

    恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』では「第五講遺教経」とあって、比丘へ具足戒を授ける前に、『遺教経』を講義していたことが知られている。そこで、今日はその目的について確認しておきたい。故に、今、登壇受具の始に、此の妙典を講ずるは、新戒の仏子等をして、未だ聞かざるの法を聞かせ、渇仰の誠を発さしむ。恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』「第五講遺教経」このように、登壇し、具足戒を受けるその前に、『遺教経』を講ずるのは、新らに受戒する仏子などに、未だ聞いたことが無い、釈尊の遺言を聞かせることで、釈尊とその教えを渇仰させるためだという。確かに、『遺教経』では、釈尊臨終の様子を十分に組み込みながら描くことで、仏子にとっては悲しみと、至誠心を発させる意味がある。汝等比丘、常にまさに一心に勤めて、出道を求むべし。一切世間の動不動の法は、皆是れ...『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(2)

  • 2022/02/11 08:58
    「建国記念の日」に学ぶ『大日本帝国憲法』「上諭」

    今日2月11日は「建国記念の日」である。なお、この日は近代日本では「紀元節」であった。その由来などについては、以下のようなこととして知られている。紀元節本日は旧暦の正月元日にして大祖神武天皇日向より兵を起し中州を平定し創て都を山との橿原に建て大位に即せ給ふ日にて即辛酉元年正月元日に当り元年を紀せし始めなり故に紀元節といふ今を距ること二千五百三十五年なり城井寿章(悔庵)『歳時行事(上)』明治11年、19丁表~裏江戸時代までには無かった「紀元節」が、国内に定着してきた明治10年代の文献では上記のように書かれ、いわゆる神武天皇が即位した日を、1878年(明治11)から2535(+1)年とし、更に紀元0年は無いなど、諸事勘案すると、紀元前660年(辛酉)となる。そこで、同年の1月1日を明治11年に換算すると2月11日に...「建国記念の日」に学ぶ『大日本帝国憲法』「上諭」

  • 2022/02/10 09:57
    『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(1)

    以前から気になっていることに、かの、鑑真和上が来日して伝えた受戒作法の中に、『遺教経』に関する講義が入っていることがある。例えば、実質的な和上の後継者となった法進僧都『東大寺授戒方軌』には「第三講遺教経章」とあって、新たに戒を受けるものに対して、『遺教経』を講義されていたのである。そうしたら、恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』でも、やはり「第五講遺教経」とあって、同じように『遺教経』が講義されている。そこで、その『遺教経』がどのように講義されているのかを確認したい。今日はとりあえず、同式法の中で、『遺教経』をどう位置付けているかを確認しておこう。今、此の経は、是れ釈迦世雄、最後の遺訓、能仁善逝の臨終の極説、釈種を導びくの指南、戒行を開くの妙門なり。比丘、此に因りて身口七支の内外を調え、新学之を以て三業と四儀の憤動を寂...『唐招提寺戒壇別受戒式』に於ける『遺教経』について(1)

  • 2022/02/09 08:05
    改めて『遺教経』と「波羅提木叉」について(2)

    2月に入り、釈尊涅槃会も近付いているので、『遺教経』を学んでおきたいと思うのだが、『遺教経』といえば、やはり「波羅提木叉(戒)」への重視が気になるところである。とはいえ、それが出ているのは冒頭に近い2箇所のみである。既に最初の1箇所は説明したので、2箇所目を見ておきたい。以下のような教説となっている。戒は是れ正順解脱の本なり、故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因すれば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。是の故に比丘、当に浄戒を持って、毀犯せしむること勿るべし。『仏垂般涅槃略説教誡経』「二修集世間功徳分」端的に、戒が「正順解脱の本」だという説示である。この非常に分かりやすい内容が衝撃的だったのか、中国仏教の戒律関係の説示では、頻出する一節でもある。そして、問題なのは、だからこそ「波羅提木叉」であるとしている...改めて『遺教経』と「波羅提木叉」について(2)

  • 2022/02/08 11:21
    改めて『遺教経』と「波羅提木叉」について(1)

    2月に入り、釈尊涅槃会も近付いているので、『遺教経』を学んでおきたいと思うのだが、『遺教経』といえば、やはり「波羅提木叉(戒)」への重視が気になるところである。とはいえ、それが出ているのは冒頭に近い2箇所のみである。例えば、以下のような教説となっている。汝等比丘、我が滅後に於いて、当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、これは則ち是れ汝等が大師なり。もし我、世に住するともこれに異なること無けん。『仏垂般涅槃略説教誡経』「二修集世間功徳分」このように、『遺教経』では、「波羅提木叉」の重視を説くが、理由として、これが新たに仏教を学ぶ者にとっての「大師」となり、更には、もし釈尊自身が生きていても、「波羅提木叉」がある状態と変わることが無いとするためである。さて、上記の一節に...改めて『遺教経』と「波羅提木叉」について(1)

  • 2022/02/07 14:38
    『遺教経』と明恵上人

    2月に入り、釈尊涅槃会も近付いているので、『遺教経』を学んでおきたいと思うのだが、『遺教経』といえば、やはり釈尊最期の説法であると捉えられ、例えば、祖師方が自らの最期に合わせて、門弟達に説示する場合もあったようなのだが、それに関連するものか、以下の一節を見出した。昔、栂尾明恵上人が、自ら此の遺教経を書写されて、其の奥に、孝子伝の張敷の故事を附記し、以て学徒を策励された話は有名であるが……〈以下略〉高島米峰『遺教経講話』(丙午出版社・1921年)1頁高島米峰(1875~1949)といえば、新仏教運動の推進者として知られた人であるが、その講演録や著作も多く、今回紹介するのもそのような1冊である。それで、何故紹介する気になったかといえば、高島が明恵上人の行いを賞しつつ、「有名だ」としているのだが、当方はこの件を知らな...『遺教経』と明恵上人

  • 2022/02/06 22:28
    『仏遺教経施行勅』について

    2月に入り、釈尊涅槃会も近付いているので、『遺教経』を学んでおきたいと思うのだが、『遺教経』を世に広めようとする動きがあったので、それを見ておきたい。法とは如来滅後、末代澆浮を以て国王大臣に附属し、仏法を護持すること、然り。僧尼の出家は戒行、須らく備う、若し情淫佚を縱ままにし、煩悩に触塗すれば、人間に関渉して動じ経律に違す、既に如来玄妙の旨を失す、又た国王受付の義を虧く、遺教経は是れ、仏、涅槃に臨んで説く所の、弟子を教勅するものなり、甚だ詳要の為、末俗の緇素、並びに崇奉せざるんば、大道、将に微言隠るべし、且く、永く聖教を懐いて用て弘闡を思い、宜しく所司をして、書手十人を差して、多く経本を写さしめ、務めて施行在るべし、紙筆墨等の有司、准給せよ、其れ官宦五品已上、及び諸州の刺史、各おの一巻を付し、若しくは僧尼の行業...『仏遺教経施行勅』について

  • 2022/02/05 13:40
    2月は『遺教経』学習月間

    2月は、15日に釈尊涅槃会が行われることもあり、一部の宗派では『遺教経』などを読誦し、学ぶ機会にしていることもあると思う。そこで、拙ブログでも例年に倣って、『遺教経』を学んでみたい。そこで、まずは、この『遺教経』に対する評価として、中国明代の雲棲袾宏(1535~1615)による教えを見ておきたい。遺教経世人、臨終に言を為して以て子孫に示す、之を遺嘱と謂う。子孫、之を執て以て憑拠と作し、世に守りて変ぜざるものなり。況んや三界の大師、四生の慈父、説法すること四十九年、最後の遺嘱なるか。僧為る者、当たる所、朝誦暮習し、師授けて徒伝え、終身に之を奉り、一日たりとも廃忘すべからざるものなり。乃ち之に等する童蒙の書を以てし、之を閒処に於いて、復た論究せざること、豈に如来の逆子、仏法の頑民に非ずや。『雲棲法彙』巻14例えば、...2月は『遺教経』学習月間

  • 2022/02/04 08:22
    2月4日 立春

    今日は立春である。暦というか、地球と太陽との関係から、今日から春になる。それで、春になるということは、当然に冬から春になるといえ、例えば陰陽思想であれば陰気から陽気に転ずる時でもある(或いは、冬至の日を充てる考えもある)。そこで、今日はこの「冬から春に」という転換をどう考えるべきかを、禅僧たちの偈頌から探ってみようと思う。円意禅人の立春の韻を次ぐ昨宵臘尽きて暁に春来たる、角奏の梅花の調転た新しし。謂うこと莫れ茲従り清昼の永きと、暗添す多少の白頭人。『仏光国師語録』これは、鎌倉円覚寺開山・無学祖元国師(1226~86)の語録から引用してみた。それで、ここから幾つかのことが理解できる。まず、ここでは「立春」について、「臘尽きて」とある通り、旧年が前日で終わったことを示しているので、いわゆる元旦と重なっていることが分...2月4日立春

  • 2022/02/03 09:03
    2月3日 節分の拙文

    以前、旧暦での節分とは、いわゆる大晦日に該当し、そこで、1月1日を立春とするという話を聞いたことがあったので、その通り理解していたのだが、或る方から、立春は旧暦でもその年によって1月1日からずれるという指摘を受けた。確かに、立春の日付を調べてみると、その通りなのだが、これは、儀礼的な面と合わない話だったので、毎年疑問に思っていたのである。むしろ、現代でこそ、立春は2月4日及びその前後くらいに固定されていて、季節が伴うのだが、旧暦には旧暦なりの考えがあったはずである、そう思っていた。よって、今日は、この「節分」および「立春」を、どのように考えるかについて、少し前の文献などから探ってみたい。ところで、江戸時代の江戸の行事について研究した三田村鳶魚編『江戸年中行事』(新潮文庫)を見ていると、「節分」と「晦日」を別の行...2月3日節分の拙文

  • 2022/02/02 13:07
    2月2日 「頭痛の日」と禅問答

    今日2月2日は「頭痛の日」らしい。何か重要な理由でもあるのかと思っていたら、「2(ず)・2(つう)」という語呂合わせとのこと・・・それで、「頭痛」といえば、有名な禅問答があることをふと思い出したので、勢いのまま記事にしてみたい。問う、四句を離れ、百非を絶し、請うらくは師よ、西来の意を直指せよ。師云く、我れ今日、心情無し。汝、西堂に去りて智蔵に問取すべし。僧、西堂に至りて問う、。西堂、手を以て頭を指して云く、我、今日頭痛なり。汝の為に説得すること能わず。汝、去りて海兄に問え。僧、去りて海兄に問う。海兄、云わく、我に到る者の裏、却って会せず。僧、回りて、師に挙似す。師云く、蔵頭白、海頭黒と。『天聖広灯録』巻8「馬祖道一章」やはり頭痛といえば、西堂智蔵の禅問答である。まず、この問答の流れについて、簡単に見ておきたい。...2月2日「頭痛の日」と禅問答

  • #こころ
  • 2022/02/01 08:03
    皆さまに感謝・拙ブログ開設17周年

    拙ブログも、開設して今日で17周年となりました。まずは、ご来訪いただいている皆さまに心から感謝申し上げます。さて、とりあえず16周年の時同様に、ここ1年間の来訪者数(アクセス数)を以下に示しておきます。《1~16年目合計》2005/02/01~2006/01/28425051pv158156ip2006/01/29~2007/01/27915367pv320215ip2007/01/28~2008/01/261268628pv385916ip2008/01/27~2009/01/311615768pv452096ip2009/02/01~2010/01/302496360pv618590ip2010/01/31~2011/01/292665078pv644241ip2011/01/30~2012/01/2836...皆さまに感謝・拙ブログ開設17周年

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