APD/LiD(聴覚情報処理障害/聞き取り困難)の記事
2022年09月 (1件〜50件)
14回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、比丘の下に学びに来ていた者についての話である。凡そ諸白衣、苾芻の所に詣で、若しくは専ら仏典を誦し、情に落髪を希み、願いて緇衣に畢るを、号して童子と為す。或は外典を求めて出離に心ろ無きを、名て学生と曰ふ。斯の二流、並に須らく自食すべし〈西国の僧寺、多く学生有り、来りて苾芻に就いて外典を習学す、一には駆馳して給侍することを得、二には乃ち教えて好心を発せしむ。既に自利利他有...童子と学生について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・14)
ここ数回、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。一法主釈道猷は生公の弟子なり。孝武即位に至りて、勅して新安寺に住せしめて、鎮寺の法主と為す。又、法瑗を勅して、湘官寺の法主と為す。『緇門正儀』2丁裏、訓読は原典を参照しつつ当方現在、「法主」というと、現在の日本仏教の一部宗派では「宗派の代表」という印象を持つ単語ではあるが、上記内容からすると、寺院の代表くらいの意味合いであったことが分かる。...「第一官律名義弁」其四(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・4)
令和4年度秋の彼岸会である。9月23日の秋分の日が「お中日」であったが、前後7日間が彼岸会となるので、今日は【其六】の続きで関連する記事を書いておきたい。昨日から江戸時代の真言宗・諦忍妙竜律師の『空華談叢』巻1に収録されている「彼岸」という文章を見ているので、更に学んでおきたい。予、更に一解あり、今試に是を示さん、大智度論第一に曰く、復た次に事成弁に於いて、亦、到彼岸と名づく〈天竺の俗法、凡そ事を造りて成弁すれば、皆、到彼岸と言う言う〉已上、若爾らば、彼岸とは業事成弁の義なり、弥陀経に七日の念仏の事を説玉へり、道綽禅師、此経説に依て、七日不断に念仏せしに、百万返成就せられたるの旨、迦才の浄土論に見たり、此七日百万返の行成就すれば、決定して往生の業成就するなり、是を古より業事成弁と言来れり、然れば則ち善導の...秋の彼岸会其七(令和4年度版)
令和4年度秋の彼岸会である。今日、9月23日の秋分の日が「お中日」ではあるので既に後半だが、【其四】の続きで関連する記事を書いておきたい。昨日までは、子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章を見ていたが、採り上げ終わった。よって、今日からは江戸時代の真言宗・諦忍妙竜律師の『空華談叢』巻1に収録されている「彼岸」という文章を見ていきたいと思う。問、二月・八月の彼岸と云は如何なる義ぞ。本拠ある事なりや。答、是は本邦にて始りし事にて、天竺・支那に本拠なき事なり。善導観経疏日想観の下に、唯だ春秋二際を取りて、其の日正東より出で、直西に没す。弥陀仏国、日没の処に当たれり、と云へり。摂州四天王寺の西門に、聖徳太子自筆の額あり。釈迦如来転法輪処、極楽東門中心に当たれり、と書り。是等の因縁に因て、...秋の彼岸会其五(令和4年度版)
令和4年度秋の彼岸会である。今日、9月23日の秋分の日が「お中日」ではある。今日を含めた前後7日間について、【其三】の続きで関連する記事を書いておきたい。子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章の続きを見ておきたいと思う。〇愚按するに已上の三説各おの采るに足る、就中第三の観経の釈、よしとす、▲問ふ、何故にか彼岸と称たるや、答て云く、梵語の波羅蜜多を到彼岸と翻す、謂ば穢土の此岸より煩悩生死の中流を渉て涅槃の彼岸に到の義也、然れば今彼岸と称るは因中説果の得名なり、『真俗仏事編』巻5「雑記部」さて、上記内容であるが、昨日までの記事で採り上げてきた3つの内容について、『真俗仏事編』の編者である子登によって、評した内容である。そして、もう結論は明確で、3番目に採り上げた善導和尚『観経疏』にお...秋の彼岸会其四(令和4年度版)
令和4年度秋の彼岸会である。9月23日の秋分の日が「お中日」ではあるが、同日を含めた前後7日間について、【其一二】の続きで関連する記事を書いておきたい。子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章の続きを見ておきたいと思う。〇第二説に曰く、提謂経并に浄土三昧経に、八王日に善を修する事出たり、然るに此の八王日今の彼岸の節あたれり、之に依て此の経を本拠とすと、八王日とは彼の経云く、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至と是を八王日と謂ふ、是れ天地の諸神陰陽交代する時なり、此の日に当れば、梵天・帝釈・鎮臣三十二人、司命・司録・閻魔大王・八王使者ことごとく出で四方を巡り見て、人民の善悪を行ずると校録す、地獄王も輔臣を出して罪あるものを記さしむ、前斎日〈十五日なり〉と八王日とには過あれど...秋の彼岸会其二(令和4年度版)
今日から、令和4年度秋の彼岸会である。9月23日の秋分の日が「お中日」ではあるが、同日を含めた前後7日間について、関連する記事を書いておきたいと思う。とりあえず、今回の記事では、かつて【葬儀時に棺へ「血脈」を入れるべきか否か?】という記事でも採り上げた子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章を見ておきたいと思う。春秋彼岸仏事問ふ、春秋の中の時節を彼岸と名づけ仏事を修し善根を作す時とす。其の故、如何。答て曰く、此に三説あり、下より列して示さむ。『真俗仏事編』巻5「雑記部」冒頭の文章は以上である。なお、当方、本書の享保13年版も持っているが、明治19年の縮刷版も持っている。今回は、縮刷版を見ながら記事を書いているが、若干の視力減退が確認される昨今、縮刷版の字の小ささに辟易している・・・...秋の彼岸会其一(令和4年度版)
当方が生まれた頃は、まだ「9月15日」で固定されていたのだが、2003年からはいわゆる「ハッピーマンデー」の扱いになったので、今日、9月19日が「敬老の日」となり、いわゆるシルバーウィーク的な扱いともなっているようだ。この日は、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。それで、例年のことだが、今日という日には「敬老」について一言書くことにしている。いきなりだが、以下の言葉を紹介しておきたい。第二ぢぢばばを、たいせつにせよ。文学社編輯所編『尋常修身訓』巻2(文学社・明治28年)2丁裏いわゆる戦前の「修身」の教科書であるが、尋常小学校用の『尋常修身訓』を。「第二敬老」の項目を見てみたわけである。ところで、上記項目に続くページには、そのやり方を促す絵が入っていて、以下の説明...敬老の日(令和4年度版)
慈雲尊者飲光(1718~1805)は江戸時代後期の真言宗侶だが、「正法律」と呼ばれる戒律復興を行ったことでも知られる。色々とあって、その教えを学ぶ機会があるのだが、意外と明治時代以降に刊行された教えが多い。慈雲尊者はもちろん、同時代にも大きな影響があったが、明治時代以降にこそ、慈雲尊者の教えは貴重だとされた。そこで、明治時代にどのように参照されていたのかを学ぶために、敢えて明治時代に刊行された慈雲尊者の教えを見ている。例えば、以下の一節などはどうか。戒律沙門の通式なり、仏弟子たる者必ず七衆あり、今時諸宗の我宗にては、戒学いらぬと云ふ者あるは僻事なり、又、某師所立の円頓戒等は大悲菩薩の弁の如し、聖教量に違す、近代別行血脈など云ふもの出来て、達磨所得など云ふ者あり、皆後人の杜撰なり、支那諸伝記にもなし、又、某...慈雲尊者の説く諸宗の戒律
大乗仏教が菩薩という理想的な修行者を前面に押し出すと、それまでの一般的な修行者を声聞として位置付けた。それに伴い、戒律についても、「菩薩戒」という表現や思想的体系が打ち出される一方で、従来の戒を「声聞戒」と呼称した・・・はずなのだが、個人的にどの辺が最も古いのか気になった。もちろん、一般的には大乗『大般涅槃経』での、菩薩戒と声聞戒との対比が知られていると思う。戒に復た二有り、一には声聞戒、二には菩薩戒。初発心より、乃至、阿耨多羅三藐三菩提を得成す、是れを菩薩戒と名づく。若しくは白骨を観る、乃至、阿羅漢果を証得す、是れを声聞戒と名づく。若しくは声聞戒を受持すること有る者は、当に知るべし是の人、仏性及び以て如来を見ず。若しくは菩薩戒を受持すること有る者は、当に知るべし是の人、阿耨多羅三藐三菩提を得て、能く仏性...「声聞戒」という表現について
「血脈」というのは、例えば受戒などをした時に、仏祖の伝灯を記載して、戒を受けた当人と仏祖との繋がりを示す物として理解される。もちろん、「戒」だけではなくて、宗旨・宗要を受けた場合などにも授与されることがある。そこで、それら「血脈」を受けた本人の葬儀の時に、棺に入れるべきか否かという議論があった。以下の一節などはどうか?血脈入棺問、僧は印信を棺に入れ、俗は血脈等を棺に納む。是れ、経巻を焚焼するの咎ならずや。答て曰く、罪は悪心より生ず。今、印信を帯し、血脈を持するは滅罪生善の為なれば、過無し。況や昔、日蔵上人、経と本尊と持ち玉ふを視て、琰魔王拝し玉ふ〈土砂勧信記〉を聞けば、今の印信・血脈は是れ仏祖相承の印璽なり。琰王、尚貴べし。而らば、血脈・印信等を亡者の身に帯せしむる事理ならずや。又、彼の随求陀羅尼を死骸に...葬儀時に棺へ「血脈」を入れるべきか否か?
これは、以前アップした【『正法念処経』に見る「四種受戒」について】の続きの記事となる。『正法念処経』という何とも黙示録的な経典があるのだが、その中で「四種受戒」、つまりは受戒の種類について指摘した文脈があった。それで、受戒すれば、次の問題は持戒となるのだが、それについて徐々に「持戒者」としての境涯が深まる様子を指摘している。よって、正確には「四種持戒」である。又復た更に四種持戒有り。何等をか四と為すや。一には希持戒、二には半持戒、三には悔持戒、四には合持戒なり。彼の優婆塞、句海を学ぶに於いて次第に漸取す。初め三帰を取りて優婆塞と作る。彼の人、心を修め、復た久時に於いて善く観察し已んぬ。一学句を取りて、彼の句を学ぶに於いて、堅持して缺けず、穿たず、孔かず。『正法念処経』巻44「観天品之二十三」まずは、「四種...『正法念処経』に見る「四種持戒」について(1)
江戸時代、初等教育に用いられたテキストとして「往来物」が存在している。「往来」とは手紙のやりとりのことで、その手紙に模した文章を書き写すことで、文字や文章を自主学習する意味がある。そして、「往来物」の一つに『宗門往来(または『宗門往来起原抄』)』が存在している。書誌情報としては、全1巻で東里山人(鼻山人とも)、栄林堂森屋治兵衛の印刷で、文政7年(1824)版となっている。つまりは、江戸時代末期の印刷になるのだが、転ずればその頃の仏教宗派観が知られるわけで、その辺を読み解いてみようということである。なお、当方も一部所持しているのだが、先の通り「新日本古典籍総合DB」へのリンクを貼っておいたので、興味のある方は是非、画像でご覧いただくと良いと思う。ところで、宗派別という観点では、同書の頭註の位置に「江戸諸仏閣...『宗門往来』に見る日本仏教の宗派観について
以前アップした【戒律を得るのは人間界のみという話】の続きの記事を書いてみたい。それで、先に引いた一節については、『薩婆多毘尼毘婆沙』巻1「總序戒法異名等」にも書かれている。それどころか、中国では『法苑珠林』などに、後者が引用されている。そこで、そちらの記事だけでは話が続いていかないが、別の文献を見ていくと、この辺が分かる。一、能受の人、五種有り。一つには是れ人道なり。故に律に云わく、「天子・阿修羅・非人・畜生、得戒せず」。故に論に云わく、「三帰・五戒、唯だ人中のみ有り、余道には無き所なり」。南山道宣『四分律刪補随機羯磨』巻上「◎諸戒受法篇第三」この「能受の人」というのは、よく戒を受けるべき人ということだが、それに五種あるとしている。この全てを採り上げると、人権的な問題が含まれるので、とりあえず1つだけでも...「戒律を得るのは人間界のみという話」の続き
辞書的な文献である『釈氏要覧』の記述を学んでおきたい。具足戒即ち出家の二衆、受戒するところなり。何をか具足と名づくるや。決定蔵論に云わく、比丘戒、四分の義を摂す。一には具足を白四羯磨して受くるなり。二には具足するに随い、謂わく此の向後より、一一の戒に随い、常に持して覆護するが故に。三には他心の具足を護る。謂わく比丘一分の威儀具足するに他心を護ると名づく。四には守戒を具足す。謂わく小罪を見るに於いて畏れて犯さず。若し犯有る者は、悉く皆な発露するが故に。此の具足戒、六聚有り。比丘二百五十條、尼三百五十條なり。次に釈すること左の如し。『釈氏要覧』巻上、明治期の版本を参照しつつ訓読は当方具足戒とは、一般的には受戒したことで功徳が具足し、持戒がされていくという風に説明されると思うのだが、上記の内容だと、『決定蔵論』...『釈氏要覧』に見る「具足戒」について
今日、9月10日は、旧暦8月15日に当たり、いわゆる「中秋の名月」となる。なお、かつての禅僧は、この中秋に説法(上堂)を行い、偈頌(漢詩)を詠むなどし、この日を楽しんだ、というか、修行の機会に換えたのであった。元々、15日というのは上堂を行う機会でもあったので、それに合わせたわけである。今日は、そのような説法の一つを学んでみたい。上堂。去年の人、中秋の月を看る。今年の人、中秋の月を看る。今年の人、是れ去年の人なり。去年の月、是れ今年の月なり。還た、人有りて這裏に向かいて一隻眼を著得せん。若し也た著得すれば、径山、半院を分かちて伊とともに住す。其れ或いは未だ然らざれば、堂に帰りて茶を喫す。『大慧録』巻2中国臨済宗の大慧宗杲禅師(1089~1163)が径山能仁禅院で行った上堂である。この上堂だが、「中秋の上堂...中秋の名月(令和4年度版)
今日は9月9日、いわゆる「重陽の節句」である。この日について、例えば以下のような説明はどうか?▲九日重陽の御祝儀、九は陽数也、故に重陽と云、九をかさぬると云心也。〇菊酒九月九日蓬餅を食ひ、菊花酒を飲む、かくのごとくすれば人をして長寿ならしむ。〇菊花酒の製法、菊花舒る時、花も茎葉もともに、黍米にまじへてこれを醸し、来年九月九日に至てとり出して、これを飲む。〈二説ともに西京雑記に見〉三田村鳶魚氏編『江戸年中行事』中公文庫・昭和56年、51頁たいがい、重陽は陽数である九が重なった日という説明がされる。そして、菊花である。季節的なこともあり、今日は「菊の節句」でもある。また、菊は永遠の象徴でもあるから、菊花酒に長寿を期待したのであった。ということで、例年の通りだが、以下には「重陽の節句」に因んだ説法などを学んでみ...重陽の節句(令和4年度版)
個人的に、浄土真宗・存覚上人の『六要鈔』を参照していたら、「末法の中に名字比丘は世宝たるが故に痛むべきにあらずとなり」という一節があった。この一節は、末法無戒の理由や意義について説かれた内容なのだが、そこに、「名字比丘」という表現があった。そこで、とりあえず以下の一節などを見てみた。了知すべし、清浄士よ、是れより以後、我は法中に於いて、復た鬚髪を剃除し、身に袈裟を著けると雖も、禁戒を毀破し、不如法を行ずるは仮名比丘なり。如是の如く破戒の名字比丘、若し檀越有りて捨施し供養して護持養育すれば、我れ是の人、猶お、無量阿僧祇大福徳聚と説く。何を以ての故に、猶お能く多くの衆生を饒益するが故に。『大方等大集経』巻55「月蔵分第十二分布閻浮提品第十七」まぁ、こういう感じの時には、ほぼ必ずと言って良いくらい参照されるのが...「名字比丘」について
江戸時代初期の浄厳律師の『梵網菩薩戒諺註』という文献を学んでいた時に、そういえば、「諺註」という題が付いているな、と思っていたが、その後も、新義真言宗『密厳院発露懺悔文諺註』という文献も手元にあったことを思い出し、ここで「諺註」って何だ?という話となった。例えば、【日本古典籍総合目録DB】で「諺註」で検索かけてみると、40本以上の文献がヒットする。見た目的に、「註釈書」であることは間違い無いと思うのだが、中国ではこの「諺註」というタイトルを仏典で用いた例は、余り見ないようである。そうなると、日本で用いられた表現かな?という話になるのだが、意味はどうなるのだろうか?「註」は註記・註釈のことだろうが、「諺」は以下の意味がある。・ことわざ、教訓や伝承を含んだ言葉・・・だよな。ついでに、「諺とは、俗言なり」(『維...「諺註」という題名について
『西遊記』に登場する「猪八戒」という不思議な存在が気になっている。もちろん、ブタ(イノシシ)の妖怪キャラ、ということがではなくて、名前の「八戒」についてである。なお、この「猪八戒」の名前については、日本で江戸時代以降に多数作られた『西遊記』の絵入り本やその類本にも、理由が書かれるところである。其往昔は天上に在て、天逢元帥の職を任ぜられしが、王母瑶池の会の時、我酔に任せ、常娥を捕へ戯れし科により下界へ逐下され、錯つて猪の胎に入り、遂に此山に止り、名を猪剛鬣といふ者なり。『絵本西遊記全伝』、漢字を現在通用のものに改めるこの元々天人だったのが、猪八戒である。ただし、天上界を追放されて、人間界に降りてきたのだが、その際に、猪に生まれ変わってしまったという。それで、その後、孫悟空と遭遇し、問答をするのだが、孫悟空に...「猪八戒」という不思議な存在
タイトルの通りなのだが、少しく気になる文章を見付けたので、学んでみたい。第一、結解僧界法〈律に云わく、時に世、飢饉なり。余処の比丘、王舎城に集まる。僧房、皆な空なり、人の守護すること無し。開するに因りて、各おの本界を解き、通じて一界を結ぶ。後の時、豊足して、通を解し已りて還た小界を結ぶ。又、初縁の時、界内に別衆集まらずに受戒と為す。遂に界外に小界を結んで受くることを開き、名づけて戒壇と曰う。若し受戒し竟りて応に捨てるべきは、坊内に於いて受戒を作す。又、比丘と為る将に受戒の人、壇処に至りて、賊に遇いて剥かるるは、因みに坊内に於いて受戒場を作ることを聴す。応に先に僧坊の界を捨て、然る後に界戒場を結ぶ。相い内地を除くと唱え、更に僧坊界を結ぶ。此れ則ち先づ戒場を結び後に大界を結ぶ。先づ界外を結ぶは、是れ対して小界...僧伽の結界と戒壇の関係について
今日、9月4日は「供養の日」である。7月6日の「南無の日」同様、個人的に語呂合わせでそう考えていたのだが、何気なく調べてみたら、この日を普及・推進している「協会」があったらしい。全く知らなかったので、ちょっと驚いた。・供養の日-9月4日-(一般社団法人供養の日普及推進協会)以上の通りであるが、ここ5年くらいの団体のようである。それで、上記の団体とは全く関係がない当方ではあるが、勝手に仏教に於ける「供養」について見ていきたいと思う。問うて曰わく、若し爾ならば、何ぞ即ち華香等を説かず、而も其の因を説かざるや。答えて曰わく、供養具に二種有り、一つには財供養、二には法供養なり。若し但だ華香等の供養を説くのみならば、則ち法供養を摂せず。今、善根供養を説くは、当に知るべし、則ち財・法、倶に摂す。供養とは、若しくは見、...9月4日供養の日(令和4年度版)
今日、9月3日は「ベッドの日」らしい。理由は、語呂合わせで「ぐっ(9)すり(3)」になるからとのこと・・・いや、だとすると、ベッドのみの話にならない気がしたが、取り急ぎ、この日を制定したとされる「日本ベッド工業会」を調べてみた。・9月3日はベッドの日・キャンペーン!!(日本ベッド工業会)どうも、事実らしい。よって、タイトルの通りの記事を書いてみようと思うのだが、のっけから残念なお知らせがあって、実は、仏教ではベッドの使用が禁止されているのである。以下のような戒律が存在している。・高広の大床に坐臥せざれ(沙弥戒)・高広の大床に坐せざれ(八斎戒)八斎戒は、一日戒ともされるので、「臥」が無いのだろうか?それとも、当方が参照した文献がたまたまそうだった、ということだろうか?とはいえ、これはあくまでも一例であるので...「ベッドの日」に考える「仏教とベッド」の話
今日は9月2日、語呂合わせで「宝くじの日」である。・9月2日は「宝くじの日」!(宝くじ公式サイト)詳細は上記サイトをご覧いただければ良いのだが、当方ではまた別の角度から「くじ」について考えてみたい。ところで、「くじ」というと、神意を問うたり、未来を知ったりと、意外と宗教との親和性が高い。ただし、仏教的な観点だと、この「くじ」はどう判断されるのだろうか?そもそも、未来の良し悪しを知るなどという時、「くじ」などに「外注」しても良いのだろうか?と思っていたら、その辺を指摘した文章を見付けたので、見ておきたい。生死の路頭を認錯して、去来を出づるの閒話を説き、一世の人忙を惹き得て、終日に籤を求め卦を打つ。『林野奇禅師語録』巻8「復益城姚中丞」意味としては、本来は仏道の一大事であるべき生死について誤って理解し、去来か...9月2日宝くじの日(令和4年度版)
たいがい、毎月1日というのは、禅宗叢林に於いて、何かある日ではある。今日は9月1日だが、とりあえず以下の教えを学んでみたい。上堂、今朝九月初一、打板して普請坐禅し、第一に瞎睡を切忌し、直下に猛烈なるを先と為し、忽然として漆桶を爆破す、豁すれば雲散の秋天の如し、脊棒を劈り胸拳迸る。昼夜、方に纔かも眠るべからず。虚空消殞して更に消殞す、透過の威音、未だ朕前たり。咦。栗棘金圈恣ままに交𫋴し、凱歌高賀して風顛に徹す。『如浄和尚語録』中国禅宗の天童如浄禅師(1165~1227)の上堂語である。問題は、「今朝九月初一、打板して普請坐禅し」のところである。どうも、当時、南宋時代の中国禅林では、盛夏となる6月1日から9月1日までは、木版などを鳴らさずに、普請坐禅をしなかった。その代わり、随意坐禅を行ったともいう。また、普...今日は九月一日(令和4年度版)
APD/LiD(聴覚情報処理障害/聞き取り困難)の記事
どのように生きるのか 一緒に生きながら 考えていきましょう^-^
昨日は、心療内科へ行きました。 以前受診していた病院は、一ヶ月以上先にしか予約がとれなかった。 待てないので、検索して近くで見つけられたので、電話してから行って来ました。 一番驚いたことは、全く私の顔をみないことです。 こう医者がいるんだ。 ただ机の上の紙を見ながら、話すばかりです。 薬をもらいたいので、落胆しながらもやり過ごしました。 私への診療時間が、結構長かったのですが、会計の時わかりました。 診療30分と記載されてありました。 しっかり診療報酬として規定があるのかもしれません。 薬は3種類で、20日分もらいました。 少しでも、効果があればいいのだけど……
畑には3本のイチジクがあります。 昨年は豊作で、食べ切れないほど実りました。 私が元気なら、今年もイチジクの世話をしたかったのですが、膝が痛くなってしまい、もう無理です。 このままにしておくと、大株になるので枝を切り詰めました。 1本の半分もできなくて、全部が終えることができるだろうか😔 膝が痛くなってからは、気持ちが落ち込んで、食欲もなくなりました。 心療内科を受診したくて、知っているクリニックに予約しました。 予約日は、4月27日になりました。 一ヶ月以上も先です。 長すぎます😔 このクリニックは、以前お世話になっていたので、知った病院がよくて、ここにしました。 待てるだろうか…… 他のクリニックも探してみようと思います。
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