浄土宗・授戒会の懺悔法について
色々と読んでいたのだが、当方が承知していた授戒会に比べると懺悔法が非常に曖昧である印象を得た。いやまぁ、転ずれば、当方が知っていた懺悔法は過剰である印象も得る。そこで、浄土宗の作法などを見てみた。すると、椎尾弁匡先生の『授戒講話』(弘道閣・昭和6年)に収録される「授戒会前行差定」「正授戒会差定」を見てみると、両方とも「広懺悔」という項目名が見える。具体的には以下の通りである。我昔より造る所の諸の悪業は、皆無始の貪瞋癡に由る、身語意より生ずる所、一切我れ今皆懺悔す。私共が昔より造れる多くの罪は皆この三毒煩悩から出たものである。それは身か口か心かによつてやつたことである、一切私は今すべてを懺悔しますと云ふことであります。前掲同著、52~53頁つまり、「広懺悔」と書いてあるのは、「別懺悔」に対応する表現であり、三業に...浄土宗・授戒会の懺悔法について